「いま、目の前にある『自分の現実』は、『過去の自分』の結果ではない」
という意見を拝読して、考えるところがあり、今日はその事を書きます。
上の意見を言われた方の、その根拠とは。
①そうしたら(今の自分は、過去の自分の結果であるならば)、私達は、いつも間違える事ができないではないか。
②いつも正解でいる、いつも失敗できない、成功し続けないといけないではないか。
③それは無理だ。
④人は、間違うこともあるし、うまくいかない事もある。失敗する事も、法を犯してしまう事もある。失敗は避けて通れない。
⑤だから、目の前の自分の現実は、過去の自分の結果ではない。
⑥目の前の自分の現実は、今自分が何を信じているか、だ。
これを読まれて、「なるほど」と思われる方も、おられるのでしょうか。
私は、いやいやいや、おかしいやん、と思いました(すみません)。
どこに違和感を感じたかというと、①と⑤と⑥、です。
⑥⑤①の順に説明します。
⑥目の前の自分の現実は、今自分が何を信じているか、だ。
つまり、現実(客観的事実)=自分の思考(主観)だと言っておられるわけで。これ、本当に最近の流行ですよね。主観が全てだ、という考え方。客観的事実なんてのは、完全に無視してよい、とする考え方。私はこの考え方が苦手です。これをやってしまうと、人生どつぼにはまっていくと思います。独りよがりでいて幸せになった人を、私は見た事がありません。
⑤だから、目の前の自分の現実は、過去の自分の結果ではない。
目の前の現実は、本来は過去の積み重ねなのですが、主観=事実という考えに取りつかれている人は、そうは思わないわけです。過去は常に、自分の意識のリセットボタンを押せば消去できると考えている。どんな悪行をしても、リセットボタン一つでチャラにできて、まっさらで素敵な現実を持って来れると思っている。そんなはずないのに。
①そうしたら(今の自分は、過去の自分の結果であるならば)、私達は、いつも間違える事ができないではないか。
現実は過去の積み重ねだと、失敗できないと言うけれど、なぜ失敗してはいけないのでしょうか。失敗したら、反省して、改善すればいいだけの話です。こういう人は、常に今現実の自分が「幸せで素晴らしくて完璧である」と感じていたいのだと思います。だから、失敗した過去がある事が、不都合なのです。だから、過去の失敗は全部消してしまいたい。
でも。本当に、過去は消せるのでしょうか。
過去を消すという意味は二種類あって、一つは記憶から消去する、忘れる、という事です。
よく、被害を受けた側はいつまでも忘れないけれど、加害者のほうはすぐに忘れるものだ、と言われます。つまり、人は、自分に都合の悪い事は、忘れやすい。自分が忘れてしまえば、自分にとって都合の悪い過去は、(自分の中からは)消せるから。
でも、過去の積み重ねが今の現実なので、いくら自分の中からは消したとしても、今の現実の中に、過去は残っている。事実を消す事は不可能です。だから、ある種の人は、「いま、目の前にある『自分の現実』は、『過去の自分』の結果ではない」と発言するのだと思います。現実と過去の因果関係をバッサリ切る事で、現実に起こる不都合が過去の自分の悪行のせいではない、と逃げ切ろうとする。
何をどう言おうと、そんなに都合よく過去を消せるわけはないので、言いたいなら言えばいいと思うのですが、今の自分に対しても責任を取る意識はなくなるだろうなと思います。過去の積み重ねが今ではないのなら、今の積み重ねが未来でもない、という事になるからです。
つまり。過去を都合よく消して消して生きていれば、今の自分の言動に責任を取る意識もなくなるので、未来は今を無責任に生きた結果のものになるわけです。
でも、もちろんその未来は、その人の未来なので、他人は関係ない。その人の自由です。どう生きようと。どう考えようと。どんな未来を迎えようと。
こんな事をつらつら書いてきて、、、ああ、私も自分の「今」に責任をとりながら生きて行かねば、と改めて思いました。今の時代、「ありのままで」「自分のやりたい事をやろう」という流行の意識が流れ込んでくるので、知らず知らずのうちに影響を受けている気がします。時々、気を引き締めていかないと、流されるなあと思いました。