書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

他人の悩みを笑うな。

 ふと拝読したブログに、下記のような内容が書いてあり、考え込んでしまいました。ブログ主さんは民間カウンセラーさんで、クライアントさんについて、書いておられるようです。 

「え?そんなことで悩んでるの?」と思うことが多くて、びっくりしてしまいます。 

 必要もないのに自分を責める人。←ただの勘違い。

 自分が嫌われてると思い込む人。←勝手に他人の気持ちを決めてるだけ。

 自分は駄目だから変わらないといけないと思い込む人。←変わらなくていいのに。

 もっとお金を稼がなきゃ自分は価値がないと思いこむ人。←稼がなくていいのに。っていうか、稼ぎたくても稼げないくせに。 

 悩みをなくすなんてのは単純な話で、ただそれを止めるだけ。もう、悩むのを止めるだけだから。悩まないと決めて、ただ止めるだけ。

 そしたらまた質問が来る。「じゃあ、悩むのをやめたらうまくいくんですね?」「お金が入ってくるんですね?」「お母さんに愛されてたって分かるんですね?」と。

 いやいや。やる前から聞かないで。とりあえずやってみようよ。そんな、アドバイスの結果を保証するような事、できないよ。

 

 う~ん。これを書かれたのが、一般の人ではなく、カウンセラーさんだという所に、私は考え込んでしまいました。

 悩むのを止められないから、お金(一時間5万円とか、、、)を払って、カウンセリングを受けたわけで。「悩まなきゃいいだけ」と切り捨てられたら、たまったもんじゃないなあ。悩むな、と言われて、悩むのを止めれるような人は、わざわざ他人の力を借りには行かないでしょうに。

 それに。「悩まなければいい」と言われても、客観的な問題が、歴然としてそこにあれば、それは悩んで当然じゃないのかな。

 お金がなくて暮らしが難しい人が、どうやって稼ごうか悩むのは当たり前だし。どうせ稼げないんだから悩むだけ無駄、とか言われて解決する問題じゃないでしょう。

 人から嫌われていると悩んでいる人も、確かに被害妄想かもしれないけれど、実際に嫌われているのかもしれないし、ただの勘違いで流されても納得できないのは当然で。

 「じゃあ、悩むのをやめたらうまくいくんですね?」

とクライアントさんが確認してくるのは、当然だと思う。だって、カウンセラーさんのアドバイスに、納得できていないのだから。

 結局、カウンセラーさんのアドバイスが雑過ぎる、説得力が無さすぎるから、いちいち確認されるだけの事で、ああなるほど、と思えるなら、確認なんてされないわけで。

 なんかこのカウンセラーさんは、クライアントさん側がおかしい、自分が正しい、というスタンスで語っておられるけれども、読ませて頂いた限りでは、クライアントさんのほうが筋が通っているように感じました。

 一般人が、友達にアドバイスしているんじゃないわけだから。お金とってカウンセリングしているわけだから。クライアントを納得させられないのなら、それはカウンセラーにそれだけの腕がない、って事で、もっと精進しなきゃ、いう話じゃないのかな。

 

 悩みについて、私が思う事は。

 まずその悩みが、客観的に見て、悩むべき事かどうか、正しく判断することが必要だと思います。太ってもいないのに、太っていると悩むのはおかしいわけで。自分で判断できないなら、他人の力を借りてでも、その悩みが本当に悩むべき事かどうか、しっかり考える事が、まず最初だと思う。

 悩むべき事ではない、と分かれば、もう悩むのはやめる。悩むべきではない、と分かったのに、悩むのが止められないのなら、それは何らかの心の病気だから、専門医に相談するべき。痩せているのに太っていると悩むなら、それは心の病気だから、自力では治らない。ましてや、民間カウンセラーさんに、「悩むのを止めるだけ」とか言われて治るわけもない。そういう所に行くのは、時間とお金の無駄だし、自尊心も傷つけられる恐れがあると思います。

 一方、それが悩むべき問題だと判断できたら、次に、解決方法を考える。解決方法は、右から左にすぐに分かるわけではないと思います。自分でも考えて、人にも聞いて、必要なら専門家にも相談して、動いて努力して、少しづつ解決の方向へ進むしかない。だから、問題を解決するというのは、とても大変な事。それでも、人生に問題があるなら、そしてそれが嫌なら、解決に動くしかない。

 もし、人生に問題があっても、まあ別にいいや、と割り切れるなら、それはそれでいいと思うのです。ずっと例に挙げてますが、例えば太ってても私はこれでいいや、と思うなら、別に誰に迷惑かけるわけじゃなし、頑張って痩せる必要はなくて、そのままでいいと思うのです。

 問題があると分かっても、それはそれでいい、と割り切る人はそのままでいいし、解決したいと思う人は、解決に向かって努力すればいい。

 ちょっと困ってしまうのが、問題の存在を割り切る事もできず、かといって具体的な解決方向へ努力するのも嫌、という人。こういう人は多分、「同じ問題を延々悩み続ける」のだと思う。つまり、悩んでいる間は、動かなくていいから。割り切るのも嫌、努力するのも嫌、だから悩み続けるという選択。

 

 上記のカウンセラーさんの所に行くクライアントさんというのは、そういう人達なのだと思います。割り切るのも嫌、努力するのも嫌、だから悩み続けるという選択をしているのだけれど、悩み続けているのもしんどいから、誰かに何とかして欲しい、という人達。

 こういう人達に、「悩むな」と言って、悩むのを止められるわけないし、「悩むのやめたらうまくいきますか?」と確証を求めるのも当然だと思います。問題が解決するという確証もないまま、悩むのを止めるという事は、割り切るか努力するかの二択のどちらかに進むしかなくて、その人はそれが嫌なのだから。

 

 問題に対するアプローチ方法は、割り切るか努力するかどちらかしかないのだから、自分にその二択のどちらが適しているか、決めるしかないのですね。どちらもしんどい事ですが。まあ、人生というのは、しんどいものですから。

 決められない人は、悩み続けるという選択をするわけで。それも致し方ない。決められないのだから。

 同じ事でぐるぐる悩み続けている人がいたら、ああ決められないのだな、と思ってあげればいいのであって、「いつまで悩んでるの?いい加減にしなよ。ビックリするわ」と笑うのは違うと思います。

 

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