書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

咲かない花を育てる

 発達障害児を育てておられる方のブログに、「私は、咲かない花を育てているつもりで育児しています」という記述を拝見しました。とても共感しました。

 私もずっと、咲かない花を育てている、と思って息子を育ててきました。

 水をやり、肥料をやり、害虫を取り、日当たりに気を付けて、寒ければ風よけのシートで被い、暑ければ日除けを立ててやる。花というのは、「いつか綺麗に咲いてくれる」という楽しみがあって育てるものですが、私にはその楽しみは無いのです。

 やはりそれは、外から見たら、異様な風景だと思うのです。

 あの人はせっせと畑で働いているけれど、あの畑は何の畑なのだろう?と。花が咲くわけでもなければ、実がなるわけでもない作物を育てるなんて、何の意味があるのだろう?と。おかしな話だ、と。労力の無駄、水の無駄、肥料の無駄、花が咲かない作物を育てるなんて、無駄で滑稽で、見ていてイライラさせられる、と。

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 スマップの歌で「世界に一つだけの花」というのがありました。「小さい花だろうがどんな花でも、世界に一つだけの花なんだから、価値があるのだ」というような内容の歌です。私はあの歌を聞くたびに、「小さかろうが花が咲くだけマシだ」と思っていました。咲かない花だってあるんだから、と。

 「そんな事はないよ、いつかあなたのお子さんも花が咲くよ」と言って下さる方もおられますし、それは100%の善意からのお言葉なので有難いのですが、私は、その考えにしがみつきたくはないのです。

 咲かなくてもいい。この花は咲かない。多分、咲かないだろう。

 そこまで覚悟して、それでも育てると決めています。

 「いつか咲いてくれる」という期待は、容易に「咲いて欲しい」という期待にすり替わり、それは「なんとか咲かせたい」という思いに、そして「咲かせなくては」という強迫的な苦しさにすり替わっていくからです。

 咲かなくてもいい。ただ、むざむざと枯れさせたくはない。この子の根が水を要求する限り水をやり、この子の葉が日光を必要とする限り日当たりに気をつけ、この子が外敵に食べられないように気を付け、この子の命がある限り、枯れさせたくはない。

 咲かない花を育てるのに、何の楽しみがあるのか。何の意味があるのか。それは、息子が死んだ時に分かるのだと思います。その命に、意味があったのか無かったのか。今はまだ渦中なので、私には分からないのです。

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