ある時、この人苦手だな、と常日頃から思っている人を、じっと見ていて、ふと、「ああ。でもこの人の、『その場を面白くしようとするところ』や『いつも綺麗でいようとするところ』は、見習いたいな、と自然に思っている自分に気が付いた。
今までその人を見ていて、「苦手だな」という気持ちしかなかったのに。
どういうきっかけか、心の流れか分からないけども、苦手な部分はそのまま苦手なままで、面白いところ、や、綺麗でいようとしている所、は真似したいと思った。
そういう気持ちが芽生えてから、どんな人を見ても、どこかしら「真似したい」と思える所が見えるようになった。大っ嫌いな人の中にさえも。
同時に、苦手な事の中にも、学べる事はあるなあ、と思うようになった。
月並みかもしれないけれども、誰からもどんな事からも、学ぶ事はできるなあと思えた。気づいた、というより、ふと思えた。学ぶ、見習う、真似する事で、私が少しだけ前進する、少しだけ大きくなる、少しだけ深くなるのであれば、どんな事も有難いのだ、と思うようになった。
だからどうした?という話だけども。
つまり。この人と過ごした時間が無駄だった時間を損した、とか、今日は一日何もなくて空しかった、とか、そういうのが、無くなった。誰と過ごしても、どんな時間でも、何かしら学ぶ事が見えて、「ああ、これを真似しよう」「これを頂こう」ととても得した気持ちになる。
どんな環境にいても、何にもない時間なんて、無いんだなあと思えて、なんだか嬉しかった、というお話でした。