企業が学生を採用する際に、採用の条件を挙げるわけですが、その内容が、少し前から大きく変わりました。
今、多くの企業が、採用条件の第一番目に持ってくるのがコレです。
「コミュニケーション能力がある人」
企業によって表現は異なっても、主旨はコレです。少し前までは、必要十分な知識能力意欲がまず第一で、その後人間性があれば尚由、という感じでしたが、変わったのです。
今は、コレ一本。「コミュ力のある人」。
それだけ、今、社会で、コミュ力が無い人が増えていて、企業もその扱いに困っている、という事だと思います。その反動で、採用の際重視するのが、「何が無くとも、まずコミュ力」だと、多くの企業が声を揃えて唱え出した。
企業だけではありません。大学も同じ。入学試験にコミュ力を見る内容を、盛り込む事が決まっています(2020年から)。正確には、センター試験に論述問題や「聞く話す」形式の問題が入ってくるという事ですが、私立の受験も右に倣えでしょう。
何故大学までもが、学生にコミュ力を求め出したかと言えば、コミュ力の無さすぎる学生が増えて、大学側が対処に困っているからに他なりません。
つまり。
世の中に、コミュ力不足の人間が、増えてきた、という事です。
何故なのか。何故、コミュ力不足の人間が増えてきたのか。
その理由を、企業や大学は、「個人の努力不足」だと言います。「ネットのし過ぎ」「人と関わろうとしない」「ゲーム依存」等々。でも、私は違うと断言します。ええ、断言します。
世の中にコミュ力不足の人間が増えた理由は、とてもシンプル。生まれてくる発達障害児の割合が、年々増えているからです。健常児の割合が減り、発達障害児の割合が増え続けている。だから、コミュ力不足の人間の割合も、増えたのです。
そして、これからも増え続けます。
今現在、生まれて来る子供のうち、グレー児を含めると、6人に1人が発達障害です。
発達障害であれば、どれだけ本人が努力し療育に通い必死でコミュ力をつけようとしても、健常児のようにはなれません。無理です。脳の器質的な障害なので、無理なんです。
幼い幼稚園児。健常児の場合、別に「コミュ力つける為にお友達と関わろう」なんて、思っている子供は一人もいません。それでも、健常児なら、ごくごく当たり前に周囲の子と喋り、笑い、喧嘩し、取りあいし、仲直りし、忘れ、また笑い、そうやって、人と関わる事を覚えていきます。発達障害児にはそれができないのです。後天的に死にもの狂いで努力したって、健常の幼稚園児レベルにも到達できません。
さて。
では。
6人に1人生まれてきているこの発達障害児達の行く末はどうなるのでしょうか。どれだけ能力があり頭脳明晰でも、本人にどれだけやる気があっても、コミュ力が無いので大学以上の高等教育からは締め出されます。就職しようにも、コミュ力が無いので、企業からも締め出されます。
障害者認定を取って、障害者枠で就職しようとしても、「一定の数の障害者を雇用せねばならない」法律を作っている省庁そのものが、その法律を守っていないのですから、こちらも絵に描いた餅。命綱にはなりません。
つまり。
どういう事かというと。
発達障害者には、行く道がない、という事です。
なのにも関わらず、私は息子に、将来の計画を作ってやり、それに向かって一緒に努力しています。息子は、私の言葉を信じて、自分の未来は明るいと信じて、毎日一生懸命努力しています。息子が、計画通りの仕事につけるのは、針の先ほどの小さな可能性に過ぎません。努力が全て、無駄になってしまう可能性のほうが、膨大に大きいのです。
だから、努力しても無駄か。
駄目だった時、「あんなに努力したのに無駄だった。お母さんの嘘つき」と子供に責められるのが怖いか。
そんな事ないのです。
先日、みやぞんさんのトライアスロンの特別番組があり、視聴したのですが。そこで、みやぞんさんに、アナウンサーの方が、こんな質問をされていました。
「前代未聞の24時間のトライアスロンです。ずばり、どうなると思われますか?」と。
それに対し、みやぞんさんは、最初、こう答えました。
「大失敗か、成功か、どちらかですね」
それから、みやぞんさんは、少し考えて、微笑みながらこう言い直しました。
「大成功か、成功か、どちらかですね」
私も、発達障害児である息子の子育てを、いつもそう思っています。だから、ああみやぞんさんも同じなのだなあと嬉しく感じました。
たとえ、大学が、企業が、省庁が、社会が、発達障害者を締め出す方向で動いていても、どれだけ逆風が吹いていても、希望が端から閉ざされて行っても、どれだけ状況が悪くなろうとも。それでも、自分に出来る限りの努力を続ける事は、大事なのです。
私はそう思っています。
被害者意識満載の文章で、すみませんでした。