書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

誰が、重荷を背負うのか。

 スターを頂いた方のブログを訪問させて頂き、ものすごく理解できる内容だったので、今日はその事を書きます。

 その方のお子様が、嘘をついた。ブログ記事の主旨はそういう内容でした(違っていたらすみません<(_ _)>)。

 どういう嘘か。

 お子様は小学生なのですが、視力が落ちていたにも関わらず、「見えない」事を親に言わなかった、と。学校の視力検査で、0.3だと分かった、というお話でした。

 何故、視力が下がった事を親に隠していたのか?お子さんに尋ねると、「視力が落ちた事は悪い事だと思ったから」という答えだった、と。

 そのブロガーさんは、視力が落ちた事をどうして内緒にしていたのか理解できない。でも、「視力が落ちる」=「悪いこと」=「怒られる」とお子様が考えてしまったのも、うなずける。子供に嘘をつかれたくなければ、子供を怒るのを止めないといけない、という風に、結論づけておられました。

 お子様の思考の流れも、親であるブロガーさんの思考の流れも、私にはとてもよく理解でき、共感できる内容でした。

 お子様は発達障害なのだそうですが、こういう事は、健常児にも、よくある事だと思います。私も、小学生の頃、急に視力が下がった時期があり、黒板は勿論、ピアノの楽譜も読めなくなったのですが、親にはずっと言いませんでした。言えば、叱られるのが分かっていたからです。楽譜が読めず、習っていたピアノの先生には毎週こっぴどく叱られ続けたのですが、それでも親には言いませんでした。結局、学校の視力検査で発覚し、学校から親に連絡が行くまで、私の視力低下は、親に知られる事はありませんでした。

 私のことは、置いておいて。

 

 子供が親から叱られる時、そこには必ず「悪い事」が存在します。

 「悪い事」って何なのか。

 「悪い事」には、実は、2種類あると思うのです。

 一つ目は、親が意識的に把握している「悪い事」です。これには、倫理に反する事、子供の身に危険が及ぶ事、子供にとって為にならない事、周囲に迷惑をかける事、等が挙げられます。

 一方、親が意識していない「悪い事」もある。それは、「親にとって都合の悪い事」です。それは、子供の体調不良、子供が周囲より劣っている事、子供が親の期待に沿えない事、等です。

 親が子供を叱る時というのは、一つ目の「悪い事」に対してのみだと思い込んでいますが、実際には、二つ目の「悪い事」についても、親は一つ目以上に叱っているものです。

 忙しい時に限って子供が熱を出す、どれだけ教えてもちゃんと出来るようにならない、せめて普通であってほしいのにそれすら叶わない、そういう時、親はついつい不機嫌になってしまいます。

 親に不機嫌になられる事は、子供にとってみれば、親から怒られているのと同じことです。

 子供としては、一つ目の「悪い事」は、自分でも薄々自分が悪い、と認める事ができる。でも、二つ目の「悪い事」は、自分にはどうしようもない不可抗力で起こっている事です。それでも親に怒られてしまうのであれば、親から隠す事は、自然な流れだと思います。

 これをもって「子供が嘘をついた」としてしまうのは、ちょっと違うかもしれません。厳密に言えば、子供は、自分の重荷を、親に背負わせたくなかっただけの事なのです。子供は、自分の重荷を、自分で背負っただけの事なのです。

 病気になる、具合が悪い、視力が落ちる、友達に嫌われた、先生に叱られた、人と同じようにうまく出来ない、そういう自分の重荷を、自分だけで背負って生きていこうとしただけの事なのです。

 親に言えば、親に自分の重荷を背負わせる事になります。親に迷惑をかけます。親が不機嫌になります。その全てが、子供には嫌なのです。 

 だったら、自分一人で背負えばいい。誰にも言わず。

 子供がそう考えるのは、自然な事だと思うのです。実際に、その重荷を、自分一人で背負い続けられるのかどうか、子供には分かりません。子供は、先を読む力(見通し力)が、まだまだ不完全なので、先の事は考えられないのです。

 

 生きていれば、人は、多くの重荷を背負うものです。その厳しさからは、子供ですら、逃れる事はできません。

 勿論、親自身も、多くの重荷を背負って生きています。その上で、親が、子供の重荷も一緒に背負って生きていく覚悟を持っているかどうか。覚悟が出来ていれば、子供から二つ目の「悪い事」を聞かされても、親が不機嫌になる事はないでしょう。

 子供の重荷は、子供自身が背負うべきか否か。

 これについての答えは、人によって異なると思います。 

 ただ、子供が、弱みを隠していい事しか言ってくれない、という場合、それは、子供自身が自分の重荷を、一人で背負おうと決めたからだ、という事を、親は理解していたいと思います。

 それで由とするのか。しないのか。

 これについての答えも、人によって異なるのだと思います。

 将来一人で生きていけるように、自分の重荷は自分で背負わせる、という親の判断もあるでしょうし、また、まだ未完成な子供に1人で重荷を背負わせたらつぶれてしまう、という親の判断もあるでしょう。

 どういう判断をするのかは、親次第ですが、大事な事は、親自身が、どういう判断をしたか、というその自分の判断に、自覚的である事、また責任を持つ事だと私は思っています。

 また、親も子供も双方が、被害者意識を持たない事も、大切だと感じます。どちらにも言い分があるわけですから。

 それに、結局のところ、どういう判断でどういう経路を通ったとしても、最終的に親にかかってくる重荷の量は、同じだと私は思うのです。

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 参考にさせて頂いた記事は、とても冷静に的確にまとめられていて分かりやすく、ご自身に対して大変フェアで、私がこの事を考えるきっかけを下さいました。最後になって申し訳ないですが、改めてお礼申し上げます。有難うございました。