書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「困ってるひと」大野更紗著

大野更紗さんの「困ってるひと」を読みました。 

([お]9-1)困ってるひと (ポプラ文庫)

([お]9-1)困ってるひと (ポプラ文庫)

 

  大野更紗さんは、ビルマの難民キャンプを訪ね、難民研究や難民支援活動をしていました。上智大学4年の時、いつものようにビルマから難民支援を終えて帰ってきた更紗さんを、難病が襲ったのです。これは、その難病の闘病記です。

 その難病名は、「筋膜炎脂肪識炎症候群」。症状としては、とにかく辛く苦しい。しんどくて、苦しくて、全身が痛くて、じっとしていても痛い。その症状は今だに治っておらず、更紗さんは難病患者として、おそらく一生を過ごすのです。 

 しかし、壮絶です。難病というのは、まず病名を特定する所からして壮絶です。

 検査、検査、検査、その病院では分からないからと転院させられ、また検査、検査、検査、また匙を投げられ転院させられ、検査、検査、検査。検査一つ一つが壮絶。「注射針を突き刺し、ごりごりと力任せに骨をえぐり、髄液を採る」、、、、病名判明に9か月かかり、そこからやっとこ治療が始まるわけだけど、あまりにも難病過ぎて、治療方法が確立されていない(というか、ない)。読んでると、なんかもう場当たり的な治療ばかりで、気の毒でなりませんでした。

 一番私が泣けたのは(お涙頂戴風な文章では絶対ないのに、それでも)、闘病の部分ではなく、そういう闘病生活中に、全身痛い痛いという状態の中で、それでも恋をした更紗さんが、こっそり裏で医師看護師から笑われてしまった場面。

 「あんな状態でも、色気づくんだな」と、看護婦さん達が自分の事を揶揄しているのを、彼女は偶然聞いてしまうのです。医師や看護師さん達に悪気はなかった。それはすごくわかるのです。あれらの言葉は、緊張の中でのちょっとした息抜き。医師看護師にとって、どうしても必要な精神の息抜き。でも、どうしようもなくきつい。女の子にはきつい。かつて女の子だった私も、更紗さんと一緒に泣きました。

 

 ですが一つだけ。私は著者の、前向きさ、強さ、ユーモア、賢さに、とても感銘は受けたものの、ただ1点において、疑問を感じてしまいました。病気の原因について、一切書いていない、のです。かなり長い闘病記なのですが、病気の原因については、一言も触れていない。勿論、これが原因と断定する事は不可能ですが、これだけの病気ですから、原因について類推する事は、誰しもがすることでは?と思います。でも、著者は一切それを書かれていないのです。その不自然さに、疑問を感じてしまいました。

  著者の前向きさには感銘を受けます。ですが、前だけしか向かない、というのは。時に人は過去を振り返って、自省してみることも必要では?と感じてしまったのです。

 私が勝手に類推するのはお門違いでしょうが、それでもあえて書くならば、おそらく著者が難病になってしまったのは、ビルマの難民支援活動で、無理の上に無理を重ねていたせいだと感じました。その無理な生活の中で、どこかで彼女の免疫系統が壊れてしまったのではないか、と。

 もちろん、それだけが原因ではないにしろ、原因の1つではある、と思われます。

 自分の信念を貫く為に、無理に無理を重ねる生活スタイルが、著者を病に追いやった可能性は、決して低くはないと思うのです。

 

 でも、本作において、著者、その事について、一言も触れていません。平らな言い方をすれば、自分の今までの行き方を、見直し、反省し、別の生き方を考え直す、という作業を、やっていない。まるで病気が、向こうから偶然やってきて、事故のように自分にぶつかって来たような認識を、持っておられるようなのです。そこに、私は、違和感を感じたのです。

  著者は、生きがいを持って楽しんでいた。だから、これが自分の生きがいだから、とか、楽しいから、という理由なら、何をしてもいいか、どんな無理でも自分に課していいか、というと、いけないのだなあと、思ったのです。

 やっぱり、人には限界がある。それを超えてはいけないんだなあと。

  どこが自分の限界なのか、知る事は難しいけれど、しんどくなったら、休む。苦しくなったら、後戻りする。それは色んな意味で、もったいない事かもしれない。効率的ではない生き方かもしれない。でも、自分の健康を守る為には、非効率でもったいない生き方のほうが、いいのかもしれない。 

 別に自分の人生、誰かに言い訳する必要はないです。言い訳しなきゃいけない、言い訳ができない、と頑張るのがいけないと思うのです。意地やプライドでガチガチになったり、もうちょっとだけ、もうちょっとだけと自分の辛さを見て見ぬフリしたり、そういう事が一番いけない。

 立ち止まる事。ヒトという生き物として、自分は大丈夫かと、時々立ち止まって確認する事。別に誰かに何かを説明する必要はなく、ただ、自分自身の判断で、ここは引こう、ここまでで止めておこう、と淡々と線引きする事が大事なんだなと思う。

 勿論、同時に、病気になったら全て本人のせいだとか、本人の行いが悪かったからだ、と決めつけるのは、間違いです。今まで書いてきた事と、矛盾するようだけど、これも事実。だって、本人には何の落ち度もないのに、たまたま偶然、病気になってしまった、という事も、よくある話だから。病気の本当の原因なんて、誰にも分からない。特に、生まれつきの脆弱性は本人のせいじゃない。私も、生まれつき免疫系統が弱くてアレルギー体質だし、血液検査をすると必ずリウマチの値が引っかかります。自分で自分が弱いのが分かっているから、人一倍気を付けなくてはいけないです。気を付けていても、病気になる時はなる。

 でも病気になったその時、周囲の人が、生まれつきだ、偶然たまたまだ、と思ってあげるのはいいコトだと思うけど、本人が、生まれつきだ、偶然たまたまだと決めつけるのは、いけないと思うのです。今までの自分を振り返って、何かを反省し、何かを切り替えていかないと、治るものも治らないし、再発もしてしまうんじゃないかと思うんです。一旦病気になってしまうと、そういう風に考えるのは、難しいかもしれないけども。

 色々考えさせられる本でした。でも、とてもエネルギーのある本です。全ての「困っている人」に、力をくれる本だと思います。