書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「未闘病記」笙野頼子著

ここ数日、読書記録が続いています。今回は久しぶりに、純文学に挑戦しました。笙野頼子さんの「未闘病記」です。 

  笙野頼子さん(60歳ぐらい)と言えば、数々の純文学の賞を受賞された、ザ・純文学作家。遠い記憶を探れば、ダブル村上の後に、群像新人賞を獲ったのも彼女。この本は、小説ではないので、少し読みやすいかと思い、チャレンジしてみました。
 笙野さんが、罹った病は、自己免疫不全の難病。「困っている人」を書かれた大野更紗さんと同じ病気です(大野さんのほうが有名ですね。こちらのの記事もまた別に書きます)。
 しかし、大野さんが、あれだけポップな書き方をされていたにも関わらず、読後、どっと疲れたというか、気の毒さにこちらが参ってしまったのに対し、この笙野さんの「未闘病記」は、病状が軽いせいもありますが、ただただ面白い。読後は、清々しくすらある。本を読む前よりも、むしろ、楽しい気分になっていたりすらする。
 どれだけ自制された、練られた文章なのかと思われると思いますが、全くもって、全然。ただ、恨みつらみ、愚痴、を行替えもせず、汚い乱暴な言葉で、延々と書き連ねているだけなんです。筋もプロットも、あったもんじゃない。まさに純文学らしい文体であり文章。私が最も苦手とするやつです。
 もうこの、乱暴というか、粗雑な言いまわし。「○○やってんじゃねーよ」「はあ?誰が?」「てめえ」「知らねーよ」・・・・私、こういう、不必要にわざと乱暴な言いまわしをして悦に言ってる人、本当に苦手なのですが、この本に限り、不本意ながら、大変面白かったと言わざるを得ません。

 また、全ての自分の落ち度や、うまくいかなかったことを、病気のせいにして、自分は1ミリも間違っていないと、自己肯定にふんぞり返る人も、本来、私は、苦手なんです。

 でも、この本、ハッキリ言って、それしか書いてない。笙野さん、生まれてからずっと、人生をうまく運べなくて、親から怒られ続け、周囲かれ責められ続け、つらいこと、できないことだらけで、数年前、それがこの自己免疫不全の難病のせいだった事が判明した、と。となるともう、鬼の首とったみたいに、それみた事か、と。私が悪かったんでも、怠けていたんでも、根性曲がりでもなかったんだ、と。全部、病気のせいだったんだ、と、この一冊の本にもう、延々呪詛を書き連ねてある。
 こういう精神性、私、本当に苦手なんです。が、この本に限り、不本意ながら、大変面白かったと言わざるを得ない。。。。
 こういうのを、芸術の力、と言うのでしょうね。
 どんなにふざけた文体でも、文章でも、腐った呪詛だけの内容でも、読後のこの、清々しさ。体中から、力が漲ってくる感じ。優れた芸術だけが持つ力を、この本を読んだ後に、感じました。エッセイですらこうなのだから、笙野さんの小説は、もっと強力なんだろうなあと、空恐ろしい気さえします。
 いつか読んでみたいと思います。純文学は苦手なので、多分だいぶ先ですが。