書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

長年愛用している瞑想本

 夜、寝る前、ベッドに入ってから、時々瞑想します。毎日ではなく、「なんだか今日は心が疲れたなー」「心が騒がしかったなー」という日に。

 一人でもやれるのですが、瞑想レクチャーCDを聴きながら、だと、より癒されるというか、集中できます。

 そもそも、私が瞑想が出来るようになったのは、小池龍之介さんの「自分を浄化する座禅入門」という本を読んでからです。呼吸に意識を集中させる方法で、私にはとても分かりやすく、やりやすかったのです。 

「自分」を浄化する坐禅入門[増補改訂版]

「自分」を浄化する坐禅入門[増補改訂版]

 

  私は、この本の前本(すでに絶版)の「瞑想のお稽古」を買ったのですが、そちらにはCDがついていました(この本にも付いているのかな?)。このCDで、ナント小池さんご本人が、瞑想のレクチャーをしてくれるのです。小池さんの穏やかで静かな声の指示にただ従ってついていくだけで、深く心地いい瞑想の世界に入っていけます。

 この本で(というかCDで)小池さんが紹介して下さっている瞑想には様々な種類があります。基本は呼吸に集中する、というものですが、それにプラスで色々ある、という事なんですが、私が特にお気に入りなのは、「慈悲の瞑想」。「安穏たらんことを」と「苦の無くならんことを」の言葉を、自分→好きな存在→苦手な存在→全宇宙へと対象を広げながら唱えていくもの。

 例えば、自分を対象にして「苦の無くならんことを」と唱える時、自分の体のどこかに苦しいところ痛いところがあれば、そこに意識を集中していると、その苦しさ痛みの中に自分が入っていくような感覚になるんです。表現、変ですが。自分の心にも辛いもの苦しいものがあれば、そこへも意識を集中して唱え続けていると、その辛い部分にいつの間にかふわーっと入って行っていて、気が付くとそれが消えている。

 そうやって、自分の苦が無くならんことを唱えた後に、続いて、自分の好きな人の苦が無くならんことを唱えていくのですが、ここで、不思議な感覚に襲われるのです。自分の事に集中して唱えていた後、他の人に意識を広げて唱え始めた時、心が広がったような気持ちのいい状態になる事に気づくのです。この感覚は本当に不思議です。

 その後は、苦手な人に対象を広げていくのですが。日常生活で、苦手な人の安穏を望んだり、苦手な人の苦が無くなる事を望んだり、しにくいじゃないですが。なんか抵抗があって。それが、瞑想の流れの中では、すんなり出来てしまうのです。そしてそのまま、対象が全宇宙にぐーんと広がっていって、勿論自分もその宇宙の中にいる。自分が宇宙に溶けてしまっている感じ。頭の中身も溶けてしまっている感じ。何も「考えない」状態。ただ、安穏と苦が無くなる感覚だけに意識を集中している。このあたりではもう、「安穏たれ」とかの言葉も唱えていません。意識だけがある。

 そうやって、CDの声に導かれるままに瞑想をしているうちに、心地よい眠りにひきこまれていき、翌朝起きると、とてもスッキリした清々しい心持ちになれています。

 暑い日々が続いておりますが、無理せず自分を癒しながら、乗り切りたいと思います。

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