書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

母子の同化を断ち切る。

 これを読んで下さっている方の中に、今回の地震で被害に遭われた方、おられるのでしょうか。大変な日々をお過ごしの事と案じます。一日も早く、いつもの平安な日常が戻りますように、と願います。

 今日は、以前にご紹介した、スカイさんのブログ記事から、書きたいと思います。こちらです↓(毎回、勝手に引用させて頂いております、、)

コメント42~45、47、48のコメントへ回答です。<母限定で行動的自閉が全開の子への対応> | スカイのブログ

 母親限定で、家で傍若無人にふるまう発達障害児への対応が書かれています。毎回ですが、スカイさんのブログからは学ぶ事が多く、今回も「なるほどな~」と何度も読みました。

 我が家の場合は、上の記事に登場するお子さんほど過激な(失礼な表現で申し訳ありません)状態ではないし、一人っ子ですので兄弟でヒートアップするわけでもないのですが。それでも、「母親である私限定で」我儘を言ってくる、という時があり、少しばかりそれが目に余る状態でした。

 勿論、健常児さんの普通のケースでも、母親にだけは我儘を言う、というのは、よくある事だと思いますし、ある種、母子のほほえましい信頼関係のなせる業、という解釈もできるかと思います。

 ですが、息子の場合は、その範疇を少し超えており、筋の通らない我儘のごり押しを、私にだけしつこく言ってくる、という状態を、なかなかゼロにできないでいたのです。どうしたもんかなあ、と考え、私なりに思い切った手を打ち、状況を改善できつつありました。具体的には、息子が筋の通らない我儘をごり押ししてきた時は、徹底的に厳しく対応し、場合によっては突き放したのです。それによって、息子の態度が改善してきていた時に、上記の記事を拝読し、「そうか!」と膝を打ちました。

 上記の記事から、具体的に響いた箇所を、勝手ながら抜粋させて頂きます。

小さい頃から癇癪が強いのは「自閉世界での希望・当然のこと」が「現実世界では違う」ので、違う!これじゃない!という表現が癇癪になる。自閉傾向が強い子には多い(成長してこの傾向が現実世界とつながると、頑固でテコでも動かない部分が良い方向にのび、驚くほど部活や学校生活で活動的な優等生になることもある。そうした似た子が現在生徒会長をして安定している。) 

 お母さんを選ぶのは「その人が自分にとって最も簡単」という利便性の問題なので、愛情が足りないからではないです。逆で、愛情や情で「つながりやすい人」「便利に動いてくれそうな人」「我慢してくれそうな人」「自分のために努力してくれる人」を自分の思うように動かして満足したい、できないと八つ当たりする、特に用事がなくても「自分の持ち物」としての確認のように、暇なのもあって攻撃してみる、そう思った方がつじつまが合う時があります。

 例えば、以前に過去記事に書いたことがありますが、母親に執着して母が「嫌がらせ」としか思えないようなことを多々され、母だけを選んで八つ当たりや特性全開の素の姿を見せる子に疲弊して、別居し「普通に接することができる父」と過ごすようにして母を療養させたとき、子は安定していて、母がいなくても普通に生活しますし、寂しがる、泣いて母が恋しいと言い募る、反省の言葉を述べて言動を変えると宣言する、などの定型の子が見せる姿は見せず、あっさりしたものでした。

 ですが母を目の前にすると、嬉々として喜んでおぶさったり、しんどい、痛い!と言っても笑ってふざけて嫌がっても無理に抱き着いてお腹をぎゅーっと抱きしめたりして、反応するのを喜ぶ、というような行動に出たりしていました。年々、それが収まって、距離を保つことで「同化していた母と、違う他人として」接することができているような距離感で、変化としては「電話で」会話することが多くなり、意見を交わすようになって、上記の不適切な行動はほぼ今では見られません。

 逆に母親のことは小さい頃から父親より大好きです。笑顔を多く見せるのも父へではなく母でした。父親へは普通です。執着もありません。愛情、という部分が原因であれば、これと逆に「深く強く近く接しましょう」というアドバイスになり、それを実践して悪化するのがこの子のケースです。

 ですので、こうした特殊性を理解しての他人の発言なのか、それは正しいのかは「現実の状況と照らし合わせて」「助言と結果を照らし合わせて」判断していく、根拠をもとに考えていく、「一般論でこうです」「一般的な、主な対処方法はこれです」というものを丸のみにして、それが結果的に少しでも効果があればいいですが、万が一、全く変わらない・逆にひどくなる場合は「違うのでは」と別の方法も考えてみる必要があると思います。

 「距離を変える」ことで、まずは対処してみてください。上記のことを駆使して距離を取ると、2、3か月で改善が見えてくると思います。ただ、「変わったから」と安心したとたんに揺り返しというか、隙を見てすぐ同じ(母への同一化を好んで同じ問題行動を起こす)ことをしますので、その点を忘れず、「距離を離す」を再度するなりしてリセットしたりして、安定するまで続けてみてください

 とても長い記事を乱暴に抜粋してしまったので、意味が分かりにくいかもしれません。すみません。

 この記事に出会う前から、私も、私が息子を全面的に受容して育ててきた事が、もしかすると「必ずしも正解ではなかったのかも、、」と思い始めていました。

 勿論、私に全面的に受容された事で、息子の情緒が落ち着き、自己肯定感の高い前向きな明るい性格に育った事は、間違いないと思います。が、同時に、私に対して「同化」させてしまったキライがあります。それで、私にだけ、過剰な我儘をしつこくぶつけてくるのを、どうしても止められない現状になってしまったのだと思われます。

 私が息子を全面的に受容して育てたのは、2歳半で専門家に罹った時に、そういう指示を受けたからですが、上の記事にあるように、それが正しい指導かどうかは「現実の状況と照らし合わせて」都度、軌道修正していく必要があったのだと思います。私は、その「軌道修正」を怠っていて、馬鹿の一つ覚えのように、ずっと「全面的受容」でやってきてしまったのが失敗だったと、だんだんと分かり始め、最近は、息子への対応を大きく変えたところです。

 そのタイミングで、この記事を読み、やっぱりそうか、と納得した次第です。

 この記事で、「子供との距離を離す」という風に表現されている事の、私なりの具体的な行動は。

1.ダメなものはダメだと、冷たく厳しい表現で徹底的に伝える。

2.現実の状況が、息子の頭の中のお花畑と一致していない場合、それを聞かされるのが息子にとって辛い事だと分かっていても、現実をハッキリと伝える。

3.息子が私との約束を守らなかった場合は、徹底して突き放す。

の3点です。

 1は、当然ですが、息子から激しい反発に合います。癇癪をおこされ、大騒ぎになりますが、それでも、徹底的に「ダメ」を押し通します。勿論、何故ダメなのか、の理由を、一ミリの矛盾もなく息子にキッチリ伝える手間は省きません。それに何時間も、何日もかかることもありますが。ただ、どれだけ激しい反発にあおうと、ひるまず、強い姿勢を変えませんし、息子が辛い気持ちになっているのが分かっても、場合によっては、息子がとても傷ついたと分かっても、それでも、「ダメ」を徹底して押し通します。

 1、2、3の行動を徹底する事で、私と息子との間に距離が生れ、息子からの我儘が極端に減りました。

 以前は、こんな事を言ったら、息子の心に取り返しのつかない傷をつけてしまうのではないか、と憂い、息子が傷つかない言葉を選んで伝えたり(それによって事実と違う事を伝える事になっても)、注意する時も柔らかく優しい表現を採用していました。息子が約束を守れなかった時も、謝ってきたら許していました。

 今は、息子が傷つこうが構わず、厳しい事を言いますし、強く叱りますし、約束を守らなかったら謝ろうが何だろうが許しません。

 こういう風に私が態度を大きく変えた事で、息子がどうなったかというと、不思議な事に、全く傷つていませんし、落ち込んでもいません。むしろ、どちらかというと以前よりも更に機嫌よく日々を送っているように思います。

 私に叱られて行動を修正し改善したせいで、日常生活も学校での生活も、以前よりも更にスムーズに送れるようになった事が、落ち着いた朗らかな日々をうみだしているように思います。

 とはいえ。

 息子のような、癇癪の激しい、こだわりの多い、言葉の遅い、発達の遅い乳幼児期の発達障害児に対しては、全面的受容で育てたのは、正解だったのではないか、と今でも思います。また、小学校、中学校と、障害故、山のようなストレスを抱えながら学校生活を送っていた息子ですので、家ではできるだけストレスを減らしてやるように工夫していたのも、また、正解だったと思います。

 もし、私が、学童期に、息子を受容する事をしなかったら、息子から「同化視」される事はなかったと思いますが、息子は無事学童期を乗り切る事ができなかったかもしれません。それぐらい、小学校中学校は、綱渡りだったので。

 学校生活が落ち着いて送れるようになったな、と気づいたのは、高校になってからで、それはとりもなおさず、学力が上がったからです。勉強に関して、「分からない。できない」というストレスから解放された事が大きいです。それによって、学校生活を楽しめるようになりましたし、周囲からも認めてもらえるようになりました。

 そのタイミングで、私への「同化」を断ち切る選択をしたのは、タイミング的には、良かったのではないかと、結果論ですが、思います。というか、私への同化を断ち切るタイミングは、今しかなかったかもしれません。

 そんな事を考えていた時に、上のスカイさんの記事を拝読し、「なるほど、こういう事だったのか」と分かりました。もう少し早くこの記事に出会っていれば、一人で試行錯誤する事もなかったな、と思いましたので、どなたかのご参考になれば、と思い、私の個人的経験も含め、記事にしてみました。

 スカイさんの記事で、特に「お母さんを選ぶのは「その人が自分にとって最も簡単」という利便性の問題なので、愛情が足りないからではないです。逆で、愛情や情で「つながりやすい人」「便利に動いてくれそうな人」「我慢してくれそうな人」「自分のために努力してくれる人」を自分の思うように動かして満足したい、できないと八つ当たりする、特に用事がなくても「自分の持ち物」としての確認のように、暇なのもあって攻撃してみる、そう思った方がつじつまが合う時があります」の部分に、納得がいきました。

 なるほど。そういう事だったのか、と。

 複雑さ、曖昧さ、矛盾が存在する事を理解できない、そういう状態を嫌う息子は、しばしば、物事を、自分に都合のいい形で単純化しがちです。

 「子供にとって母親とは何か」という事を、一言で表現する事は難しいです。子供にとって母親という存在は、複雑であり曖昧であり時に矛盾を孕みます。健常者はそれをそのままそういうものだ、と理解していますが、発達障害児である息子は、そういう理解の仕方は難しいのだと思います。

 そして「母親とは」という問いに、自分で、自分に都合よく「自分に都合よく便利に動いてくれる人」という解釈を、あてはめてしまっていたのだと思います。そこに愛情の有る無しは関係なく、です。

 なので、「自分に都合よく動いてくれるはずの母親」が、自分に都合よく動いてくれない時は、激しく癇癪を起こし、なんとしてでもしつこく食い下がって、自分に都合よく動かそうとしたのだと思われます。

 発達障害児のこの「思い込み」を、覆す事は、並大抵のことではありません。「こだわり」のところに書きましたが、彼等のこういう執着は、合理的理由がないにも関わらずとても強いからです。

 母子に関する間違った「思い込み」を覆す為に、スカイさんの推奨されるように「距離を離す」事が有効になってくるのだと思います。

 スカイさんの記事では、「距離を離す」は具体的に、「母子が別居する」という手段を推奨されていますが、私はそこまでやらずとも、母子が同居したままで上記3点を実行する事で、同化してしまった母子の距離を、離す事ができたように思います。お子様からの過剰な我儘に困られている方、相手が発達障害児であれば、「情緒的に冷た過ぎる」対応も、案外、相手にとっては大丈夫かもしれない、むしろ有効かもしれないという事を、お伝えしたいです。

 ただ「冷たい対応」が大丈夫になるには、それまでに、十分母子間で信頼関係が出来上がっている事、子供自身の「自己」がある程度出来上がっている事、が前提条件になってくるかとは思います。お子様の精神発達がまだまだ未熟な時期、また、二次障害寸前まで精神的に弱っているお子様に対しての「冷たい対応」は、危険だと思われます。それでも、今まで絶対にご法度だと思っていた冷たい対応を、やってもいいかも、と考慮される一つの材料に、この記事をして頂ければ嬉しいです。

 いつも書きますが、発達障害児の子育てに、正解はないんですけども。だからこそ、他人の具体例の一つひとつが、失敗例も成功例も、どなたかにとっての正解を見つける一助になるのではないかと思い、不備が多いこのブログを書いています。

 ではでは。今日はこのへんで。長雨が続くようですが、どうぞ体調など崩されませんように。気持ちだけは明るく参りましょう。

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