書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害だから近寄らない、という方のブログを読んで思った事。

 先日、あるブログを拝読していました。40歳で独身の女性が、身辺の事象を書いておられるブログです。

 何故そのブログに惹かれたのかというと、その方の何気ない一言や、当たり前のように描写されている世界観から、その方の繊細で豊かな感性が垣間見れて、楽しかったからです。婚活はうまくいかなかったけれど、よく考えたら仕事はあるし、一人っ子で親の持ち家に同居しているので住む所には困らないし、貯金もあるし(1000万貯めた、と書いてありました)、友達もいるし、このまま一生独身でも構わないかも、と達観されていて共感しました。私自身、このブログにも再三書いているように、結婚した事自体が成功ではなかった、独身で一生生きるという選択をすべきだったかもしれない、と思っているので、「うん、その通りだわ。賢い人だ」と共感して読ませて頂いていました。

 途中までは。

 途中まで読んでいて、その方のある日の記事に、私はぐっと胸を詰まらせました。

 その方は、こんな事を書いておられました。

 「私の家の近所に、発達障害が住んでいる家がある。「小学生2人と両親」という家族構成で、その両親が発達障害だ、という噂があるのだ。その家には関わらないようにしている。ああいうのには、近寄らないに限る」と。

 え。

 発達障害だから関わらない。

 発達障害だから、近寄らない。

 どうして。

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 どこからどう説明したらいいのか。

 まずこの方は、「発達障害」と「精神障害」を混同されているように思います。確かに、ある種の精神障害者が、社会に迷惑をかける行為を行いがちである、という事は事実です(全ての精神障害者が社会に迷惑をかけるわけではなく、精神障害者のごく一部が、という意味です)。

 事件を起こした犯人が精神障害者だったので刑は免れた、というニュースは時々流れます。雑な報道だと、犯人は発達障害者だったから刑を免れた、という風に報じる場合もあります。正確には、発達障害であり、精神障害でもあった、という意味なのですが。

 なぜなら発達障害は、精神障害と、イコールではありません。

 なぜこの2つは、混同されがちなのか。

 発達障害は、発達の凸凹があり、通常のパターンで発達していかない人の事を言います。それは、発達のペースが通常とは違う、という場合もあるし、発達する能力の度合いが通常とは違う(一つの能力が平均以下しか発達しなかったり、一つの能力が平均以上に発達したり、という事)という場合もあります。いずれにしても、発達障害と、精神障害は、イコールではありません。

 ただ。成長期の発達障害児は、健常児に比べて、遥かに育てにくい、という事実があります。一つの例として、私はこのブログに、息子の子育て記録を書いているのでご参照頂ければと思います(「いちからの子育て記録」というカテゴリーに入れています)。

 発達障害児が育てにくいのは、発達障害児が我儘だから怠け者だから頑固だから、ではなく、それが発達障害児の障害特性だから、なのです。なので、「みんなも頑張っているのだから、あなたも頑張れるはず」とか「みんなと同じようにどうしてできないの」とかで発達障害児を叱るのは間違っているし、もっと言うと、発達障害児のイライラさせられる言動やのろさ、こだわり、発達の遅さ、理解の遅さ、状況判断のできなさ、人とコミュニケーションを取れないこと、などに親が苛立って、子供を叱りつけてなんとか動かそうとすることは、間違っているわけです。

 ですが、叱りつけて発達障害児を育てる親は、実際にはとても多いのです

 また、同時に、何を言ってもやってもこの子には無駄、と早々に諦めてしまって、子育てを放棄してしまう親も、発達障害児の親には、多いです。また、子育ての先に良い将来が見えない為に、結婚生活も空しくなるので、発達障害児の親が離婚するケースは、健常児の親より多いように思います。本来は、障害児ですから、丁寧な子育て、配慮のある環境、障害特性に合わせた支援、が絶対に必要なのに、むしろその逆で、手をかけてもらえない、なんなら、放任で育てられてしまう、というケースが発生します。

 本来なら適切な支援を必要とする発達障害児なのに、支援どころか理不尽に叱られ続けたり、逆に子育て放棄されたり、した場合、二次障害として、精神疾患を発症する場合があります。こういうケースが、少なくないのです。

 よって世間では、発達障害イコール精神障害、というイメージが、定着してしまうのだと思います。でも、この2つは、全く別のものです。

 適切に育てられた発達障害児は、精神障害をおこすことはありません。健全に、すこやかに成長していきます。そこは健常児と全く同じです。発達障害児の精神が脆弱だから精神障害を起こしやすいのではないです。発達障害児は育てにくいので、親から不適切に育てられる可能性が高いことが、精神障害を起こしてしまう要因なのです。

 ここに、とても大きな誤解と偏見の根があるように思います。

 上に紹介したブロガーさんも、発達障害精神障害、だと思われていて、だから、「関わらないようにしている」と、ごくごく普通に、当たり前のようにブログに書かれたのだと思います。

 うん。これが、今の世間の、普通の感覚なんだなー、と、とても冷たいものが、ツーッと一筋、私の胸の中に落ちていきました。それまで、とても共感してブログを拝読していただけに、ショックが大きかったです。そのブロガーさんは拝読する限り、繊細な感性をお持ちの、とても好感のもてる正直な女性なのです。その人が、こんな強い偏見を持っておられる事に、慄きました。もしかしたら、私の周囲の人達も、口には出さなくても、このブロガーさんと同じ考えをお持ちなのかもしれない、ただ黙っているだけで、と思いました。特に怖いのが、このブロガーさんが直接そのご家族から迷惑をかけられたわけではない、という事です。ただ「発達障害だという噂があるから」それだけで、そのご家族を避けている、という事実です。噂だけで、避ける。何をされたわけでもないのに。まるで疫病のように。

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 発達障害に偏見を持っておられる方の多い社会は、息子が生きていくのに、良い環境とは思えません。

 偏見を持つ側が悪い、と言っていてはいつまでたっても平行線。偏見を持たれるような状況を作っているコチラ側が悪い、という立ち位置に、私は立っていたいと思っています。偏見を持たれないために、コチラ側が頑張るしかないのです。一方的に「理解して。分かって」と言って、誰が理解してくれるでしょう。発達障害者は精神障害者ではない、という事が、社会の常識になる為に、私ができる事は何かないか。そう言えば、このブログを始める時も、偏見を持つ人を、一人でも減らせたらどんなにいいか、ある日そう思って書き始めたのでした。

 私にできる事は、書く事だけです。だから、ブログタイトルを「書くしかできない」とつけました。

 そして、もう一つ、私にできる事は、息子を一生懸命育てる事です。発達障害であっても健全な心身で生きていく事ができること、社会の迷惑にはならないこと、害虫にはならないこと、息子の秀でた能力を活かした仕事につき社会に貢献しながら生きていけること、周囲の人に愛されながら人の和の中で生きていけること、そういう事を、実現できるように努力しています。

 その為に、小さい頃から、理不尽に叱りつける事なく、環境を整え、必要な支援をつどつど手配しならが育ててきました。息子を立派に育て上げなければ、としゃかりきになって、逆に息子を苦しめる事のないよう、追い詰めることのないよう気を付けてきました。私自身が追い詰められるのはアリでも、息子を追い詰めたり苦しめたりする事はないよう、それだけは心がけてきました。

 私ができることは、それしかないからです。まだまだ息子の子育ては道途中です。改めて、頑張っていこうと強く思いました。

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  私は、一生懸命子育てしている発達障害児のお母さんはみんな、仲間だと思っているし、心から応援しています。本当に本当に辛いし大変だけど、一緒に頑張っていこう、と思っています。一方で、虐待したり育児放棄している発達障害児のお母さんには、必要以上に敏感になってしまいます。あなたのその行為は、あなた自身のお子さんを害するだけではなく、発達障害児全般に対する世間の評判を落としかねないのだから、止めて下さい、と思ってしまいます。このブログでも書いてしまっていますが、私が、虐待をしている親を見てしまった時に、とても強く反応してしまうのは、多分、こういう理由もあるのだろうと思います。

 しんどいし苦しいし辛いんだけど、でも、その苦しみ辛さは、自分のところで食い止めよう。子供にまで害を及ぼす事だけは止めよう。そう思う親が、増えてくれますように。私も、ブレる事なく、そう思って子育てを続けていけますように。

 なんだか、被害者面した自己憐憫の文章で、自分が恥ずかしいです。こういう事を、もっとさらっときれいに書けるようになれるといいのですが。読みづらくて申し訳ないです。最後まで読んで下さって、有難うございました<(_ _)>。