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「自己評価メソッド」クリストフ・アンドレ著

今日は長文です。クリストフ・アンドレさんの「自己評価メソッド」の読書記録です。 

自己評価メソッド―自分とうまくつきあうための心理学

自己評価メソッド―自分とうまくつきあうための心理学

 

  なるほど、と得心がいったので、ブログに書いてみますが、とても長い本で、内容もみっちり濃いので、どこまで書けるか不明です(すみません。やれるだけやってみます)。

 Ⅰ低い自己評価について
 この本のテーマは「自己評価を高める必要性」と「その方法について」です。ですが、その前置きとして、「低い自己評価」とは何か、という事について、まず書かれています。(不要だと思う方は飛ばして、Ⅱ良い自己評価を持つとはどういう事か、へ進んで下さい。)

自己評価が低い」という事は、そのものズバリ<低い自己評価>と、<高くてもろい自己評価>の2種類があるそうです。


・・・・・(以下本文より抜粋します)・・・・・

実をいうと、<高くてもろい自己評価>を持つ人が、精神科のクリニックを訪れる事は少ない。訪れるのは、本人ではなく近親者で、「一緒に生活していると耐えられなくなるので、この性格をなんとかしてほしい」とか、「まわりの人を敵にまわす事が多いので心配だ」と、相談を持ちかけてくる事が多い。<高くてもろい自己評価>を持つ人は、本人があまり自分の問題に気づいていない。だが、問題を抱えているのは事実なので、本人も、生きるのが難しいとは感じている(中略)。こういった人々の自己評価は、ある意味で、<低い自己評価>と同じくらい低い。
 では、この2つのタイプの違いは何か?
 それは、<低い自己評価>を持つ人が、行動を回避して、自己評価をそれ以上、下げないようにするのに対し、

 <高くてもろい自己評価>を持つ人は、もっと成功するように、もっと人から愛されるように、もっと人を支配できるように、努力するという事である。すなわち、自己評価が下がるのが不安なので、不安を感じずにすむところまで、なんとかそれを高めようとするのだ。そして、自己評価の低い人と同じように、他人との比較が行われる。自分よりすぐれている人に対しては、その人の価値を引き下げようとする。そうすれば、自分が劣っているという不安を感じなくてすむからだ。また、自分より恵まれていない人に対しては、軽蔑して優越感を抱く。だが、自分も人から同じように思われるのではないかと考えると、漠然とした不安を抱き、結局は安定した自己評価を持つ事ができないのである。
 <高くてもろい自己評価>を持つ人については、研究の対象になる事が、昨今多くなってきている。というのも、このタイプの人は、「怒りをコントロールできない」「アルコール等に依存する」「突然、深刻なうつになる」など、精神医学的な問題を生じやすい事が分かってきたからだ(中略)。
 <低い自己評価>と<高くてもろい自己評価>は、正反対のように思えるが、同じ人が、その時々の状況によって、この二つを、行ったり来たりすることは少なくない。この2つの自己評価を、同時に持っている事だって、珍しくはない。 

 例えば、<低い自己評価>の人へのセラピーの一環として自己主張訓練をしてもらうと良く分かる。自己評価の低い人は、普通、自己主張ができないのだが、状況によって自己主張しなければならなくなると、きわめて攻撃的なやり方でするのである。これは<高くてもろい自己評価>の人の態度と同じである(中略)。
 <高くてもろい自己評価>を持つ人が、不安な状況に陥った時、どうするかというと、「人生やまわりの人に対して、攻撃的になる」のである。攻撃は最大の防御なり、という言葉があるが、これはまさに、この人達のためにあると言っていい。すなわち、まわりの人が「自分より優れていたらひきずりおろす」「自分より劣っていたら軽蔑する」そうやって、相対的に自分が優れている事を確かめるのである。

 また、<高くてもろい自己評価>を持つ人は、人生に対して、かなり積極的に、様々な行動をする。だがこれは、諸刃の剣である。行動すれば、<失敗>の危険性もあるが、<高くてもろい自己評価>を持つ人は、失敗した場合、現実を認めなかったり、誰か人のせいにしたりするのである(中略)。
 これらの低い自己評価は、どんな風に生まれるのだろうか。その過程は4つある。
①まずは、自分が劣っているという気持ちがある
②その気持ちは、何か問題が起こった時に、自己評価を危険にさらす
③そこで自己評価を守る為に「自己評価を下げないように行動を回避したり」「自己評価を上げようとして、まわりを攻撃したり」する。
④長い間、そういうやり方を続けているうちに、それが身についてしまうので、「自分が我慢すれば人は受け入れてくれる」「自分が強く出ないと、人は認めてくれない」のどちらか(一人の人の中で)両極端の行動パターンが定着してしまう。
 しかし、このやり方はむしろ、自己評価を脆弱にしてしまうのだ。本当に強固な自己評価というのは(つまり良い自己評価というのは)、能力があろうとなかろうと、美しかろうとそうでなかろうと、幸せな子供時代を過ごしていようといまいと、全く関係ないからである。生まれながらの不平等はある。一時的な不平等もある。だが、その不平等は、別の形で埋め合わす事ができる。人間は、自分を見つめ、自分の姿を正しく知る事によって、成長する。そういった観点に立った時、<低い自己評価>や<高くてもろい自己評価>の防衛戦略は、自分をごまかすだけで、成長の役にはたたない。

・・・・・・(抜粋終わります)・・・・・

 低い自己評価を持つことの弊害を確認した上で、本書の記述は進みます。

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Ⅱ良い自己評価を持つとはどういう事か

 続いて、本書は「良い自己評価を持つ事」についての説明が述べられます。著者によれば、それは「自分を受け入れる」という事だそうです。

 つまり、「良い自己評価を持つ」=「自分を受け入れる」。 

 良い自己評価を持つ為に、自分のもともとの性格を変える必要はないそうなのです。生まれつき控えめな人が、お喋り好きな人間になる事はない。ただ、パーティーが苦手でなくなったり、むしろ楽しめたりするようにはなる。今までより少しだけ落ち着いた気分でいられ、少しだけ自信が持てて、少しだけ勇気を持って行動できるようになり、少しだけ人の目を気にしなくなり、批判を受け流せるようになる。つまり、自分の性格はそのままに、自分の現実を変えるのです。 

 その為には自分を受け入れる」ということをしなくてはいけません。

 著者はフランスの精神科医ですが、著者の大抵の患者さんは、戸惑った顏をして、こう言うそうです。「私はいつも、そうしてきましたよ。自分を抑え、黙って人に従い、長いものに巻かれてきました。自分では白だと思っても、人が黒だと言えば、<そうですね>と言ってきました。でも、だからこそ私はここへ来たのです。もうこれ以上、<受け入れる>のは止めようと。それなのに、<受け入れよ>とは?」と。

 これは、「自分を受け入れる」事と、「自分を抑える」事を、混同しているところからくる誤解でなのです[。「自分を受け入れる」とは、自分の劣った部分を認め、それを許し、現実を変える方向へ気持ちを切り替える事。「認める」だけでなく、「許し」、更に、「変える方向を向く」という事なのです。

 「自分を受け入れる」という事は、自分の事を何でも許してあげる、という事ではなく、自分に問題があってもそれは全く普通のことで、それ自体は全く構わないと認め、
問題がある事について自分を責めるのではなく、問題があって普通なんだと自分を許し、問題があるから変わろう、という方向に、向くという事なのです。

 この「変わろう」というのは、性格はそのままで、「思考方法や言動を変えよう」という事。今の自分のままでいて、思考方法と言動を変えよう、という事です。

 別の言い方をすれば、「自分を受け入れる」とは、「そうだ」と認めること。「自分には問題があるーーそうだ」「自分は不安だーーそうだ」問題なんかない、不安じゃない、と否定する代わりに、「そうだ」と認めること、これが出発点。
 そして「問題がある」と認めるのは、「だから仕方ない」と状況に甘んじるのでも、どうする事もできないと諦める事でも、だからどうだと開き直る事でもない。「自分には問題がある」と認めて終わり、ではない。「問題がある」と正面から見すえ、次のステップである「変えること」に結びつけるという事なのです。

 この「変えること」ということは、「自分の性格を変える」のではなく、「自分の現実を変える」つまり「自分の思考方法や言動を変える」ことです。

 
 一方、「自分を抑える」という事は、それが動かしがたいものだとして捉える行為だそうです。つまり「自分を抑える」人は、改善する方向に進む気がない。だから現実が変わらず、苦しみが続くのです。「自分を抑える」人は、たとえ自分の劣った部分を認めていたとしても、受け入れずに、開き直るか、諦めるか、責任転嫁しているので、改善する方向へ進めない。なのにそういう人はまた、変わらない現実にいらだち、絶望し、更に自己評価を下げていく。
 そして、これが高じると、先に書いたように精神疾患に至る恐れがあります。例えばアルコール依存症の原因は、「辛い現実を受け入れられない」事にある。また、うつ病の原因は「自分が自分に対し、いつも過大な要求をしている」という事実を受け入れない事にある。不安症の原因は、「自分がいつも最悪の事態を想像しているに過ぎない」という事実を受け入れられない事にあるのです。

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Ⅲ 自己評価を良くする具体的な方法(自分の現実《思考法や言動》を変える具体的な方法)

 では一体どうやったら、自己評価を良くしていく事ができるのか。自分の性格はそのままに、自分の現実(思考方法や言動)を変えていく事ができるのか。本書は更にその部分についてみっちりと記述が続きます。

 自分の現実(思考方法や言動)を変える)」方法は、大きく分けると「自分との関係を改善する事」と、「他人との関係を改善する事」、更に「行動すること」に分けられます。

自分との関係を改善する」方法は、
自分を批判しない、
自分のコンプレックスと戦う、
自己主張できるようになる
不完全なままで生きるーー劣っている勇気を持つ
気分をよくする
他人との関係を改善する」方法は、
人から受け入れられない恐怖と戦う
存在を認められたいという気持ちと、愛されたいという気持ちを混同しない
自己評価と愛の密接な関係(恋は自己評価への薬になる)
恥ずかしいという気持ちをコントロールする
比較や競争をしすぎない
信頼し、受け入れ、許すこと
人に好意的になる
行動する」方法とは、
フィードバックに耳を傾ける、
失敗と成功に適切にかかわる

以上です。箇条書きですみません。一つひとつがものすごく長く、ものすごく濃い内容で、要約することが不可能だったのです。でもこの本の肝はまさしくここなので、興味を持たれた方は、一読されてみてください。

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Ⅳ 自己評価が良くなるとはどういう状態か。そして自己評価を良くする裏ワザ。

 また、本書の最後に著者は、「自己評価がよくなる」とどうなるのか、について触れています。

 その答えは、「自己評価が必要なくなる」のだそうです

 言い換えれば、「自己評価が良い状態」=「自分を忘れた状態」

 すなわち、「自分がどういう人間か?」という事があまり気にならなくなり、「生きていることを実感する」ほうが大切に思えてくる。これは、自己評価に悩む人が回復に向かっていく過程で、必ず起こることだそうです。

 著者のクリニックに通い始めた当初は、<自分>の事ばかり気になっていた患者さんが、自己評価がよくなると、「自分を忘れる」事ができるようになるのでそうです

 「良い自己評価を持つ」という事は、「健康でいる」ようなものだそう。「健康とは、身体の器官が沈黙している状態である」と医者は言う。そのとおりでしょう。健康であれば、器官は異常を訴えない。痛みで私達を苦しめる事もない。それと同じで、「良い自己評価とは、自分が沈黙している状態である」と言えるのです

 この本の最後に、著者は、とっておきの秘訣を披露しています。

 自己評価が高まれば、自分を忘れる事ができる。この逆もまた真理。つまり、自分を忘れる事ができれば、自己評価を高める(自分を受け入れる)事ができる

 つまり、自分を忘れる状態が作れたら、自己評価を良くしていく事ができるわけです。
 その「自分を忘れる」具体的な方法とは、「没頭する事」「マインドフルネス(瞑想)」「謙虚になる事」の3つだそうです。

没頭する事
目的を持たず、ただただ楽しみのためだけに行動する。たとえば、どこかに行くのが目的ではなく、ただ木の香りをかぐために森の中を歩く。コンサートで人に聞かせるのが目的ではなく、音楽に触れる喜びを味わう為に楽器を演奏する。こういう活動をしている時、人は「我を忘れ、その行為に没頭する」事がある。ここで大切なのは、何かをしながら、何かをしない事。同時に二つの事はしないほうがいい。そして、「ただ何かをする」。ただ食器を洗う。ただ歩く。ただ雲を眺める。ただ呼吸をする。それによって「行為に対する集中力」が高まれば、「フロー(没頭)」状態が訪れてくるようになるに違いない。
 「マインドフルネス
仏教でいうところの瞑想。「今現在に意識を向ける、戻す」。この実践により、内面的成長が促され、脳の機能そのものが変化する。その変化は、脳画像検査ではっきり観察できる。

  「謙虚になる事
謙虚になると、自分はこうでなければならない、という自己イメージから自由になる。
従って、競争に勝たねばならない、というプレッシャーが外れ、人の言葉に批判を加える事もなくなる。自分はいつでも成功していなければならない、という思い込みが外れるので、失敗を恐れず、行動する事ができる。

  この3つを行う事で、自分を忘れることが出来、その結果、自己評価を良くする助けになる、と著書は語っています。

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 本書によれば、自己評価を良くする為の方法は、2種類あって、一つは正攻法のⅢ。もう一つは裏ワザのⅣ。フランスの著名な臨床医である著者は、この両方の方法を使い、患者さんの治療にあたって一定の成果を上げているそうなので、再現性は高いと思われます。 

 正攻法のⅢにも、裏ワザのⅣにも、様々な方法が書かれています。Ⅲだけでも、この分厚い本の半分以上を占めています。何故著者が、これほど多くの実例と理論を驚くほどの量、紹介しているかというと、著者は読者に「いくつかの方法を平行して実行して欲しい」からではないかと思われます。 

 たった一つの方法でも、それを完璧に実行できれば、ことは足りる筈なのです。例えば、裏ワザのⅣの「謙虚になる事」を完璧に実行すれば、良い自己評価を持つ事は可能なのです。ですが、生身の人間にそれは不可能です。謙虚になろうと決めても、実際に実行できるのは2割がせいぜいではないでしょうか。あとの8割の心の部分は、傲慢とは言わないまでも、謙虚ではない気持ちが折々に顔を出してくると思います。

 何か一つの方法を100%実行するのが無理だからこそ、著者は、考えうる限り様々な方法を書いてくれているのだと思うのです。自分に当てはまる部分、できそうな事をできるだけ多く、様々に数多くやっていく。それが一番確かで理想的なのではないでしょうか。

 「たった一つの事、これさえやっておけばOK」という自己啓発が今流行りですが、あれは分かりやすいですが、実際は役に立たないのではないかと、私は思います。あれこれ多角的にやってみる事が大切なのではないでしょうか。そう思い、沢山引用を入れた長文で、この本を紹介してみました。ものすごく長い本を、ものすごく乱暴にかいつまんで説明してしまったので、これを読んだだけでは、この本の魅力も、本当に著者が伝えたい事も、ほとんど伝わっておりません(すみません、私の力不足で、、、)。

 もし興味を持たれた方がおられましたが、本書に目を通されてみてください。図書館でも借りられると思います。納得の内容でした。悩んでおられる方のお役にたつと思います。

 長文、最後までお読み下さり、有難うございました。