書くしかできない

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「コリー二事件」フェルディナント・フォン・シーラッハ著

 シーラッハは1964年生まれのドイツ人。ナチ党最高司令官バルドゥール・フォン・シーラッハの孫で、刑事弁護士兼作家です。

 この小説「コリー二事件」はいわゆるミステリーではありますが、一風変わっています。

 まず最初に、殺人が起こります。読者は、誰が誰を殺したのか、ハッキリと把握します。そして、犯人は警察を呼び自首します。国選弁護士が呼ばれます。弁護士になりたての若造です。一方、被害者はドイツを代表する大企業の会長なので、被害者側には百戦錬磨の辣腕ベテラン弁護士が付きます。

 犯人は分かっている。自首もしている。裁判などあってないようなもの、さっさと判決が出るだろうと思われたのに、実際にはそうはいきません。

 犯人は、「自分が殺した」と自首したものの、その理由を言わないからです。犯人側の弁護士ライアンは、その理由を求めて東奔西走します。そして、その理由を見つけるのです。それは驚愕の内容で、裁判は一気に複雑になり、長期化していきます。

 ライアンは、法廷で、ドイツが蓋をしてきた負の歴史を暴露し、驚くべき法律の落とし穴を指摘していきます。 

 あまり書くとネタバレしてしまうので、このへんにしておきますが、この小説は読んで損はないと思います。ミステリーとしても超一流ですが、それ以前に、この本には、小説の枠を超えた使命と哲学があります。これを読んで、そこを深く考えない読者はいないと思います。

 なんといっても、作者は、ナチ最高司令官の実際の孫、なのです。身内の罪を暴くような事を、作者はこの小説でやってのけたわけです。黙っていれば、未来永劫罪に問われる事はなかったのに。祖父の重い罪を暴く事は、自分の子供、孫、子孫累々の「恥」「消えない罪」として、残っていく。それでも、彼は、書かずにはいられなかったのだろうと思います。

 ドイツでは、この本が2011年に出版された数か月後、法務省内に「ナチの過去再検討委員会」が設置されました。一冊のミステリー本が、一国の行政を動かす力を持ち得たのです。ペン一本が国家を動かす事もできる、という事実に、感動に近いものを感じました。作者が、自らの安全を投げ打って書いたという事実が、多くの人の心を動かすのだろうと思います。この本だけでなく、シーラッハの小説の多くが映画化されているという事実も、同じ理由からだろうと思います。

コリーニ事件 (創元推理文庫)

コリーニ事件 (創元推理文庫)