書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

腹八分目の真実

 「何をやっても欠乏感が埋まらない。沢山買い物しても、好きなものを一杯食べても、何か空しい」という人に対して、「それはあなたが睡眠欲、性欲、食欲を満たしていないからだ。まずは三大欲求を満たすべき」と答えていた方がいました。

 毎日きちんと、満足いくまで寝ましょう。毎日、眠りたいだけ眠りましょう。その次に、とことん満足いくまで性欲を満たし、最後に、自分が食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べましょう。そうすれば、欠乏感が満たされ、本当に自分が欲しいものが分かるようになり、他のもので代替えする必要がなくなります。

 毎日きちんと三大欲求を満たす事を怠っているから、他のもので代替えせざるをえなくなるのです。でも代替えでは、いつまでたっても本来の欠乏感が埋まりません。代替えは代替えに過ぎないのです。代替えでは本当には満たされない。だから、まずは、三大欲求を日々きちんと満たし、自分を満足させてあげるべきです。そうすれば欠乏感は消えます。

 こういう説を聞くたびに、私は下記の事を思い出します。

 私達は、私達の身体が必要としている「量」より、実はいつも少しだけ多めに「欲求」するように、なっているのだ、という事を。

 つまりどういう事かというと。

 例えば睡眠欲ならば。私達が、毎朝、得心がいくまで眠ってから起きると、起床時間は毎日1時間ずつ後ろにずれていくそうなのです。本当にその人の身体に必要な睡眠時間が8時間だとすると、 その人が感じる睡眠欲は9時間眠らないと満足できないように私達の心は設定されているのだそう。だから、自然に起きるまで起きないでいると、毎日1時間ずつ起床時間がずれていき、最後には昼夜逆転の生活にまでなってしまうのだそうです。

 また、食欲で言えば。ほとんどの生物は、不老長寿の遺伝子「サーチュイン遺伝子」を持っています。この遺伝子は、生物の細胞を若返らせ老化を防止するのです。この遺伝子は、通常は活動は停止しています。この遺伝子は、生物が「飢餓状態」にならない限りスイッチが入らないのです。
 生物の長い歴史の中で、最大の脅威は「飢餓」でした。飢餓の時代を生き抜く為に、この長寿 遺伝子は「飢餓状態の時にスイッチ・オン」するように設定されているのです。逆に言えば、常に食欲を満たし続けていれば、サーチュイン遺伝子は眠ったままで活動しないので、私達は病気になりやすく早く死ぬ、という事になります。

サーチュイン遺伝子についてはコチラなどをご参照ください↓)

http://www.switch-on-life.jp/sub_03.html

 

 サーチュイン遺伝子の実験の一つに、こういうものがあります。

 同時期に生まれた同じタイプのサルを2つのグループに分けて飼育したところ、一方のグループのサル達ははいつまでも毛並が良く目に力があり、元気で過ごしていた一方、もう片方のサル達はすぐに老いて元気なく病気がちになってしまった。2つのグループの差は、ただ一つ。「餌の量」だけだった。餌の内容は全く同じ、飼育状況も全く同じ。ただ、餌の量を、前者のグループには後者のグループの、7割しか与えなかったのだ。

  こういう研究結果からも、三大欲求(少なくとも睡眠欲や食欲)は、たまにそれを満たす、というのなら良いでしょうが、「毎日毎日欠かさず満たし続けないと、欠乏感に陥る」というのは、ちょっと言い過ぎではないかと感じます。むしろ満たし続けると、私達は「すぐに老いてしまうサル達」と同じ事になってしまうでしょう。

 なぜかは分からないけれど、私達の身体と心には少々のズレがあり、身体の必要量×1.1倍=心の欲求量、みたいな状態になっているのです。

 心が欲求する量というのは、身体が必要としている量より、いつも少しだけ多いので、私達が「満足だ」と感じるところまで心を満たそうとすると、それはむしろ身体には「害悪」になってしまうのです。

 つまり、上に紹介した方の説のように、「三大欲求でとことん満足する」事は、心にとっては良い事かもしれないけれど、身体にとっては良くない事と言えます。

  ここからはスピ的な話です。(だから信じるか信じないかはご自由なのですが)私達の魂は、身体に宿った瞬間から、煩悩を背負わされる、と言われています。この世に生きる、という事は、その煩悩を経験する、という事だと言われています。

 その真意とは、「身体の必要量と、心が感じる欲求量に、最初からズレが設定されている」という事ではないか、と私は思います。そのズレが「煩悩」なのではないか、と。

 このズレは、世界を作った宇宙の神様が作ったパラドックスなのだと思います。つまり、自分の欲求を満たす事を追及すると(それは私達自身では私達の為に一番いいと感じるのだけれど)、実際には、私達自身の身体を害してしまうのです。でも、それを私達は感じ取る事ができない。自分の欲求を満たす事は、あたかも自分にとって良い事のように感じてしまっている。本当は、自分の欲求を少しだけ抑える事が、(私達自身では、それが私達の為に一番いいとは感じられないのだけれど)、実際には、私達の身体にとって、一番良い事なのです。

 とすれば、昔から言われている「腹八分目」は真実なのではないか、と思うわけです。昔の人は、経験値からそういう考えに至ったのでしょうが、今はサーチュイン遺伝子の発見などから、科学的に検証されてきていて、興味深いなあと思います。

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 冒頭の「何をやっても空しい」理由は、確かに、身体からSOSが来るほど身体の欲求を無視しているから、という事もあるでしょうが、それだけではない気がします。私の個人的感覚ですが、「自分の時間を自分の自由にできない」事が、私の場合は、空しさに繋がります。時間が自分の自由にならない、つまり、自分のやりたい生活ができていない、という事。時間が自由にならない、という事は、自分が生きているのに、自分が生きている感じがしない事に繋がるからです。

 「何をやっても空しい」場合は、自分の人生を、自分の納得いくものに、もう一度組み直す事、が大切なのではないか、と思います。