書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

神様に嫌われる人とは。

 またしても、大好きな桜井識子さんのブログから、今度は「神様に嫌われる人」について、引用させて頂きます。もととなる記事はコチラです↓。

玉置神社 神様が嫌いな人とは|桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba

(上の記事から一部引用させて頂きます)

 神様は、そういう優越感や、私は特別、といった選民意識を持った人間が嫌いなのだそうです。

「神が嫌うような人間になるなよ」 と言われました。

他にどういう人が嫌いなのかと聞くと、自分本位の人だと言います。

欲張りな人も、私さえ得をすればいい、私だけいっぱい持っていればいい、という自分本位であるし、人に迷惑をかけて平気な人も、私さえ良ければいい、という自分本位なので嫌いだということでした。 

 

 神様に嫌われるのはとても辛いけれど、自分本位にならない、というのは、かなり私には難しいなあと思いました。選民意識や「私は特別」という気持ちも、普段意識はしていないけれど、持っているような気がします。「私は特別守られているから大丈夫」「私は日本人で恵まれていて良かったわ(発展途上国の人でなくて良かった)」みたいな、、、。

 自分では意識しない、小さな小さな気持ちの芽も、芽生えた瞬間に摘み取っていかないと、いけないそうです。でないと、気が付いた時には、取り返しがつかないほど大きくなってしまう(もう摘み取れない)から。

 上のブログ記事では、桜井さんが神様に叱られた経験を書かれています。何について叱られたかというと、桜井さんがブログを書くようになって、桜井さんの書いている事と、仏教や神教の教えが食い違っている事が多々あり、それについて「桜井さんの書いている事は間違いでは?」という指摘が、読者から入るようになった。そういう指摘に対して、桜井さんは「私は、私が直接神様から聞いた事をそのまま書いているだけです」と答えておられました。その答え方、答えた時の気持ちの中に、「神様の声が聞こえない人達より、神様の声が聞こえる私の言う事のほうが、正しいのでは?」という驕った気持ちがあった、いや、驕った気持ちのわずかな芽が芽生え始めていた、それを神様から指摘された、と、そういう事のようです。

 神様の声が聞こえる人は特別な人なのだから、自分を特別だと思っても別にいいのでは?と、私など思ってしまいますが、それはいけないのだそう。

 そんな些細なレベルで叱られるのであれば、私など、どれだけ叱られねばならないか、、、。暗澹としました。

 でも、神様には嫌われたくないので、気が付いたところから一個一個、優越感や選民意識、自分本位さ、というものを、減らしていきたいと思います。日常生活の中で、毎日毎日のことですから、本当に難しい。「今日だけ頑張る」とか「昼間だけ」とかだとまだいけそうな気がするのですが。ずーっと、ですから。365日24時間一生、ですから。でも、頑張って心がけようと思います。

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