書くしかできない

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子供の不登校について、親に罪は無い?

 「子供の不登校について、親には罪がない」と言い切っておられるブログを拝読した。その理由は以下だそう。

 「不登校になる理由の多くは、学校の友人関係や先生との関係に、問題が生じたから、であり、親との関係性に問題が生じたわけではない、から」。

 いかにももっともな理由だけれど、何かがおかしい。

 確かに、不登校になるのは、友人関係や先生との関係に問題が生じたから、だ。そこは正しい。

 でも、親の仕事は、子供の問題を解決する助けをする事。つまり親は、子供に「友人関係や先生との関係に問題生じた」場合、解決するように動く義務がある。

 もし親がそれをせず、子供自身に問題解決能力がなければ、最終的に子供は不登校になってしまう。

 つまり、子供が不登校になる原因は、

①友人関係や先生との関係に問題が生じる

②子供自身でその問題を解決できず、また、親も解決する手助けをしてくれない。

この二つがある事だと、私は思う。

 そもそも友人関係や先生との関係に問題を生じない子供や、問題が生じても自分で解決できる子供や、自分で解決できなくても親が助けてくれる子供は、不登校にはならない。

 子供が不登校になるのは、問題を自分で解決できず、尚且つ、親が助けてくれない場合だ。

 であるなら、親に罪が無い、はずはない。不登校については、一次的原因が親にはない、というだけの話で、二次的原因は親にある。これは、子供の年齢は関係ないと思う。二十歳でも、精神的に幼い子供もいれば、12歳で成人並に精神が自立している子供もいる。子供の発達には個体差が大きい。中学生だから自立させよう、とか、高校生だから放っておけばいい、とか、大学生だからもう親の出番はない、というような、年齢でスパンスパンと親の責任を断ち切れる話ではないと思う。

 私の子供が発達障害だから、かもしれないが、「親が世話焼きを止めないから、子供が自立できないのだ」という考え方自体、私には違和感がある。私の狭い知見で恐縮だが、自立に失敗した人というのはすべて、親の庇護をまだまだ必要としているにも関わらず早々に自立させられたが人、ばかりだった。まだ飛べない鳥が無理やり巣から落とされたような。一方、親にしっかり世話を焼いてもらった子は、ある時期がきたら、自然に自立していく。「ある時期」というのは個人差があって、小学校6年、という人もいれば、25歳、という人もいる。それは人それぞれだから、年齢では判断できない。

 さらに言えば、これは、不登校についてだけの話ではなく、子供に起こる様々な問題について、例外なく言える事だと思う。勿論、親の能力にも限界があり、子供の問題の全てを親が解決できるわけでは勿論ない。それでも、親の能力を精一杯使って子供を救う努力をする事は、少なくも親に課せられた義務だと私は思う。それが出来ない人は、子供を産まないで欲しいととても思う。不幸な人間を作ってしまうだけだから。子供を産まない自由は、常に万人にあるのだから。

 ないものねだりで子供を持ってしまうと、多くの場合、辛いことになると私は思う。子供を持つ事は、すべての不幸を凌駕するほど素晴らしい事だ、とは、私は思わない。少なくとも、自己犠牲が苦手だという自覚がある人は、子供を持たない選択をしたほうが、幸せに生きられると思う。子供を持つ事が、自己犠牲心がある事の証明にはならない。むしろ、子供を持ってしまう事で、自己犠牲心の欠如が露わになってしまう。自らも苦しむし、子供も苦しめる。誰も幸せにならない。