書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

霊格を落とす、上げる、とはどういう事か。

 神仏関係の事を書いていて、これは外せないと思うのが、「霊格」について、です。よく、霊格を落とす、とか、霊格を上げる、とか言うけれど、それぞれは具体的にどういうことを指しているのか、について、私が個人的に把握していることを書きたいと思います。断定口調で書いている部分もすべて、私の個人的見解なので、そこだけご了承ください。

 霊格というのは、魂の状態のことですが、生きている状態では、魂って自覚できませんよね。なんとなく、心のことかな、気持ちのことかな、という感じで。つまり霊格というのは、生きている状態の私達にとっては、「気持ちの状態」の事だと言えると私は思っています。

 「霊格を落とす」とはつまり、「よくない気持ちを持つ事」という事になります。仏教で言えば、他人より自分が優越していたいとか、見下されると腹が立つ、というような「慢」の気持ち。自分さえ良ければよいのだ、というエゴの気持ち。それを行動に移すのも勿論だめだけれど、そういう「気持ち」を持つ事が、霊格を落としている、という事になります。

 勿論もっと分かりやすく、モラルに反する行為、犯罪は、大きく霊格を落とします。モラルや何を犯罪とするか、なんて、国によって文化や時代によって変わるのだから、基準なんて一定していないのだから、おかしくないか?という意見もあると思いますが、これはこういう事です。

 自分が所属している国、所属している文化圏で、「これは良くない事である」と決められている事がモラルであり法律であります。場合によっては、そのモラルや法律にはあまり合理的な根拠は無いかもしれない。しかもそれを守るのは大変窮屈だ。それでも、みんなはそれを守っているわけです。にも関わらず、自分だけがそれを破るというのは、自分だけがズルをする、という事になります。その「自分だけいい思いがしたい。自分だけラクをしたい」というその気持ちが、「よくない気持ち」であって、「霊格を落とす事」になるわけです。

 「モラルを逸脱する行為」そのものだけが、霊格を落とすわけではなく、「自分だけいい思いをしたい」というその気持ちのほうが、より大きく霊格を落とすのです。

 例えば、いちいち靴を脱ぎ履きするのが面倒くさいから、土足で他人の家に上がりたい、と思っている人がいるとします。みんなは靴を脱いでいるのに自分だけは脱ぎたくないのです。面倒だから。土足で家に上がる事自体が悪いのではなく、自分だけは許されたいと思うその気持ちが悪いわけです。だから、その人は、土足で家に上がる文化圏に行けばいいわけです。そこではみんなが土足で家に上がっているので、自分だけは許されたいという気持ちは生じません。だったら、土足で家に上がっても霊格は落ちないのです。問題になるのは、行為そのものというよりは、その行為に至る「気持ちの状態」のほうなのです。行為は肉体がするわけですが、霊格として問題になるのは、「魂」のほうだからです。

 次回は、霊格を落とさない為に、私が実行しているちょっとしたコツを書きたいと思います(何様だ?というツッコミを自分に入れつつ)。

 

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たまに行くハイアットリージェンシーホテル裏からの夕陽。このあたりを散歩するのが好きです。ここは海が近いせいか人が少ないせいか、空気が綺麗な気がします。