書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

存在に励まされる

 少し年下の知り合いの女性が、今度大学講師を始める事になったと教えてくれました。

 彼女とは、子育て方針がピッタリ同じで、そこがとても気が合う仲なのですが、それ以上に、彼女の前向きさにいつも励まされています。というのも彼女は専門的なお仕事をこなされながら、お子さんの事もしっかり見守ってサポートし励まして育てているのです。私など、楽チンな専業主婦なので、子育てに手をかけれるのは当たり前なのですが、彼女は忙しい日々の中で、それをやっておられる。しかもこれからは、大学講師という仕事まで新たに受けられて、こなしていこうとされている。有能さだけでは片付かない、芯の入った強さを感じます。

 彼女が大学講師の打診を受け入れた理由は、勉強が苦手な生徒は、それはその子本人のせいではない、という信念があるから。子供にやる気が出ないのは、周囲の大人の責任だと、ハッキリと言い切れるだけの信念を持っているから。どんなにやる気がないように見える子供でも、周囲の大人が支えれば、必ずやる気を取り戻してくれると信じているから。

 彼女のお子さんも発達障害児なのです。そして、健常児の世界の中で、諦めを覚え逃げてしまいがちだったのを、彼女が根気よく励まし続け、人生を投げ出さずに生きる力を与え続け、元気を取り戻させたという経緯があります。

 大学では、彼女の専門知識を教える事になりますが、ただ上から一方的に教えるだけではなく、困っている生徒を見逃さず救っていくような、やる気を与えていくような、そんな講師になりたいと語っていました。だからこの仕事を受けた、と語っていました。彼女だとてスーパーウーマンではなく、悩んだり悔やんだりもされているのは知っていますが、それでも、人生を投げ捨てずに前向きに立ち上がり、かつ前進し続けている姿を見せてもらうと、本当に励まされます。 

 そして何より、彼女はまず自分の子供を救っている。この点が尊敬するところです。「他人を救いたい」と語りながら、自分の子供は棚上げ、という人が多いです。他人を救う行為というのは、そこに「一生責任を負わねばならない」という覚悟は必要ありません。その他人と自分が関わっている分野、時期、という限定的な条件の中だけで済む。だから気楽で無責任でいられる。自分の子供には一生責任がついてまわりますから、その責任からは逃げ、無責任でいられる他人に関わろうとする、そういう人が多いです。

 でも彼女の場合は、着実に自分の子供を救って来ました。自分の子供に対して、やれることは全部やってきました。そういう人にこそ「他人も救いたい」と語る資格があると私は思います。彼女を見ていると、本当に気分のいい人だなあと思うし、日々たくさんの影響を受けています。有り難いことです。