書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

自分が解決できなくても、怒らないで欲しい件。

 何かを聞かれる事を好む人が一定数いるように思う。でもそれは、自分が確実に答えを知っている要件に関して聞かれる場合に限るように思う。つまり、自分が答えを知らない事、自分には解決できない事を聞かれると、不機嫌になったり怒りだしたりする、そういう人って、いると思うのだ。

 例えば先日の泌尿器科を例に挙げれば、最初に受けた簡易検査では、私の尿には一切菌は見つからなかった。にも関わらず、私は膀胱炎様の症状を訴え「何故、菌がいないのにお腹が変なのか」その解答をドクターに求めた。ドクターは不機嫌になり、「そんなもの、原因なんて山のようにあるでしょう。私には分かるわけがない。(お腹に)脂肪が付きすぎているから、って事もありますよ」と答えたものだ。答えられない自分が悪いのではなく、そんなアホらしい質問をしてくるお前(私の事)のほうが愚かなのだ、というようにこちらに感じさせる口調で。ああ、答えられない事を聞かれたから不機嫌になられたのだな、と察し、それ以上は聞かなかった。

 ところが、次に診察に行ったら、外部に出していた尿検査の培養結果が出ていて、私の尿には珍しい細菌がいた事が分かった。私が診察室に入っていくと、前回は嫌味っぽい顔で不機嫌にしていたドクターが、晴れ晴れとした明るい顔で出迎えてくれて「これこれこういう最近がいましたよ、これに効く抗生剤を出しておきますよ」と手の平返したように上機嫌なのだ。

 ドクターに対する私の態度には変わりはないので、これはもう、答えが分からない問いを聞かれたら不機嫌になり、答えが分かる問いを聞かれたら上機嫌になるという、典型的な反応だなあと感じた。

 基本的に、問いに答えるという事は、万能感を感じられて嬉しいのだろうと思う。が、同じ聞かれるにしても、答えが分からない事だと、一転、劣等感を感じて不機嫌になるのだと思う。劣等感というか、役に立てない、答えが分からないという苛立ちを覚えて、その問いをしてきた相手を憎く感じるのではないか。

 以前、歩けなくなり、病院で調べても調べても原因がずっと分からなかった時も、担当のドクターから同じような不機嫌をぶつけられたものだ。ドクターの前では、私はとことん愚かで馬鹿な人間扱いされたものだ。「これだけ調べても原因が分からないのだから、アナタの足はどこも悪くないんですよ。痛いから歩けないって言ってるけど、ただの気のせいですよ。精神的に問題抱えてるんじゃないの?ノイローゼじゃないの?とにかく、どこも悪くないからこれ以上調べても無駄ですよ」と、言外に匂わされとことん貶められた。それでもしつこく、考え得る限り検査を要望したら、最後に受けた検査で、足が痛む原因が判明したのだ。ビンゴ。気のせいなんかじゃなかったのだ。ノイローゼでもなかったのだ。私の足には痛むだけの原因があり、外科手術でそれを取り除いたら、翌日から歩けるようになった。

 検査で原因が分かってからの診察では、そのドクターは同じ人とは思えないほど毎回上機嫌で親切だった。冗談を言って私を笑わせたり、あれこれ気を遣ってくれたり、最後の診察の時は、あたたかい言葉をかけてくれ、「何かあったら、またいつでもすぐに来て下さい」と言ってくれた。手の平を返したように、良い人だったのだ。

 例ばかり挙げているが、私の夫も同じタイプの人だ。知っている事を聞かれると喜び、知らない事や、答えがハッキリ出ない事を聞かれると不機嫌になる。

 子供の進学先を決めねばならなかった時、どの高校にするか私は悩んでいた。夫にも相談したかったが、少し声をかけただけで、とても怒りだしたので、相談できないなと分かった。どの高校が子供にベストな選択なのか、という事に、正確な答えなど無い。その段階で良いと思えても、結果は良くなかった、という可能性はいつもある。夫はそういう「ハッキリとした正解のないこと」を考えるのを嫌がる。結果的に自分の答えが間違っていたら困る、という頭があるからだと思う。確かにこれで間違いない、と確信が持てる事しか、答えようとしないし、答えに少しでも不確実要素があることは聞かれるだけで怒り出し、怒り出す事でそれ以上の質問を封じるのだ。

 分からないなら「分からない」と、そのまま言ってくれるだけでいいのに。そしたら、それ以上は聞かないから。不機嫌になる必要も怒る必要もないのに、といつも思う。「分からない」と言う事が、それほどイヤなのだろうか。沽券にかかわるのだろうか。「分からない」と言いたくないがために、逆に相手を攻撃する反応のほうが、よほど沽券にかかわると思うのだけども。

 「答えを知らないわけじゃない。でも、その質問自体がナンセンス過ぎて、答える意味がない」みたいに、まるでこちらの落ち度のように言われると、ああ、残念だなあと思う。がっくりするのだ。

 それでもわりと私は、諦めずに一度は質問はしてみるほうだ。どうせ怒られる、不機嫌になられるのがイヤで、最初から質問はしない、というタイプではない。とりあえず、一度は質問してみる。それで、思った通り不機嫌になられたら、それ以上の質問は控える。でもたま~に、運よく相手が答えられる事を聞けた時には、答えがもらえる事もある。だから、一応、聞くだけは聞いてみる。一度だけ。それで怒られたら、あ~あ怒られちゃった、と諦める。

 質問される立場にたてば、確かに、答えられない事を聞かれるのは、不愉快なものなのだ。自分の欲しい答えがもらえるまで、何度もしつこく質問してくる相手など、本当に憎く感じるものだ。だが、私の場合、一度ならどんな質問をされても怒る気にはならない。二度三度繰り返されると腹がたってくるので、私から誰かに質問する時も、1度だけに留める事にしている。