書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

主婦の仕事には時差がある

 親戚の用事などで、誰かの家を訪ねなくてはならない時、ご主人が留守番している事がたまにある。奥さんがお仕事や用事で出ておられる、というケースや、先立たれて、離婚されて、等で。一概には言えないが、やはりその家に主婦の方がいないと、訪ねるのが億劫だし、落ち着かない。男性(異性)だから嫌だ、というのではなく、ご主人しかいない家、というのは、なんとはなしに居心地が悪いのだ。

 見える事で言えば、お茶一つ出てくるわけでもなし、朝から窓も開けていない淀んだ空気の中で、会話してくれるわけでもない気詰り感(一言でご主人と書いているが、当然個人差はある。あくまでも私の経験の範囲で、という事です)。長居するにしのびなく、水くさいかと気にしながらも、用事だけ済ませて早々に失礼する事になる。

 男性、と書いたが、女性でもお子さんなら、大学生や会社員のお嬢さんが留守居をされていても、同じだ。多分、主婦以外のその家の構成員メンバーはきっと、「家の事は自分の責任外」と考えているのだろう。つまり、来客の応対というのは「家の事」に含まれるので、主婦以外のメンバー(ご主人やお子様方)は、自分の仕事ではないと思っている。だからどこか他人事で、相手任せになるのだろうと思う。

 主婦の仕事というのは、家事育児を言われるが、意外とそういう「コレ」と名前のつけられない仕事が多くある。私など、忙しく働いた筈なのに、夜になってみると、「はて、自分は今日は何をやったのだろう」と思い返し、さして何もしていないとガックリする事がある。先にも書いたが、来客が一人あって、少し面倒な電話の1~2本もかかって来た日には、その対応だけで半日取られてしまう。気疲れだけして、益になる事は何もなく虚しい。ただ、来客側にしてみたら、きれいに片付いた居心地のいい空間に通され、美味しいお茶菓子など出されて、にこやかに会話できた上に、自分自身の用事も済ませる事ができた半日、という達成感で満足できるわけで。電話してきた側の人も同じで、「今忙しいから」とか「で、要するに何が言いたいの?」と両断されず、長々と話しを聞いてもらえて胸のつかえがとれたりするわけで。相手側からすれば、そこにその家の主婦がいた、という事でメリットがあるわけだが、こちら側からすれば、家に自分がいた事に何のメリットも感じられない。私の仕事って何なのだろう?とぼんやり空しくなったりする。

 片付いた家で思い出したが、来客もなく電話もなく、ゆっくりできるとソファーに座ってベランダの花など眺めてみると、ベランダの床に土埃がたまっているのに気づいてしまう。ちょっとだけ掃いておこう、と腰を上げて箒で掃いていると、ベランダのアチコチでとりあえず置いておいた物達の存在に気づいてしまう。古い電化製品だったり家具だったり雑多な物達。きちんと見て、処分するなり掃除して再利用するなり、何らかの処分をせねばならないけれど、家の中に置いておきたくないからとりあえずベランダに出しておいた物達。存在をすっかり忘れていたそれらの物達を見て、「ああ、何とかしなきゃ」と雑巾とビニール袋を持ってくる。片端から埃を拭いていき中をあらため、まだ使える、これは無理、と仕分けていき、ゴミと再利用それぞれを、それぞれの場所に収めていく。ただちょっとベランダを掃くだけのつもりが、気が付くと1~2時間経っている。髪や服は埃だらけで、汗ばんだ顏はうっすら日焼けしていたりして、我ながら見苦しい事この上ない。

 そもそも存在を忘れていた物達なので、それらを処分し終えてからといって、達成感は全くない。時間をかけ、ドロドロに汚れて、達成感はないのだ。夜になって肩や腰がやけに痛いのだけれど、こんなに疲れたのって、私今日何をしたっけ?と思い起こしても、「ああ、あの仕事をこなしたんだ」という達成感はない。しいて言葉にすれば、忘れられていたベランダのゴミを片づけた、というだけだ。空しい限り。

 なんだけれども、ふと数日たって、ベランダに余計なモノが何も無い事に気づく。その時の清々しさ。「ああ、気持ちいい。ああ、きれい」と、胸の奥から満足感がこみあげてくる。掃除して良かった、と思う。来客の事も電話の応対も、その時は何も感じないのだけれど、しばらくしてその人達にまた会った時に、少し距離が近づいている事に気づく。無駄話をしただけだと思っていても、それは無駄ではなく、人間関係を作る時間だったのだと気づく。

 手前味噌というか、自己満足全開で、読み苦しい事この上ないかもしれず、申し訳ない。ただ、主婦の仕事というのは、その時は空しく益もなく徒労に感じられるが、時間がたってみると、無駄ではなかった事に気づく事が多いなあと思ったのだ。時差がある、という事が分かっていると、あまり空しくもならないかもしれない、と自分に言い聞かせているのだ。

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