書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

既婚女性は不自由か

 暫く見なかった、ある自己啓発系の女性作家さんの著書が、久しぶりに書店に並んでいたので拝読し、「うーん」と唸ってしまった。ネガティブな事を書いてしまうと思うので、作家名やタイトルは伏せておく。

 その本は「女性はもっともっと自由になるべき」というテーマで書かれていた。彼女は著作の中で、女性が相変わらず不自由である事を嘆いていた。講演活動を通して出会うお客さん達の話を聞いて、の感想らしい。彼女いわく、特に既婚者の女性の「怨念」が凄い、とか。既婚者の、人生に対する恨みつらみや不満の大きさは、とてつもなく大きい、と書いておられる。

 そもそも彼女は結婚に対して悲観的で、40代になって、未婚で出産をされたぐらいだ。女性は結婚すると、婚家の持つ先祖代々の因縁を受け継いでしまうから、十分注意すべきだ、というのが彼女の説。例えば、武家の家に嫁いだ女性は足を悪くがち、未浄化な思いを残す先祖がいる家に嫁いだ女性は、内臓や子宮を患いがち、とか。うわ、怖い。

 著者の彼女は、結婚を頭から否定しているわけではないのだけれど、結婚するなら、よっぽど相手に惚れ込み、この人となら絶対に幸せになれる、と確信が持てる相手と結婚すべきだと、強く主張されている。

 もっともな話だとは思うが、人間ってそこまで完璧に自分の未来に確信が持てるものだろうか。人間って、そこまで他人に対して、「この人なら一生を共にしても絶対に絶対に大丈夫」と強い確信が持てるだろうか。一生って案外長い。そんなに先々まで見通せる力が、人間に備わっているとは私には思えないし、「確信が持てないなら結婚してはいけない」と言われたら、結婚なんて誰もできないと思うのだが。

 更に著者は、既婚女性も経済的に夫の頼らず自立すべき、経済的に自由になるべき、と強く主張されている。それも、お説ごもっとも、なのだが、現実問題、家事育児と仕事を両立させる事は、出来る人と出来ない人がいる。と言うか、家事育児もすでに一種の「仕事」だし。お給料が貰えない、って言うけど、夫の稼ぎの半分を堂々と使う権利はあるし(私は堂々と使っています、、)、万一将来離婚する事になった時は、結婚期間の夫の稼ぎの半分を手にする権利もある。それは、退職金や年金に対しても有効で、だから家事育児はお給料こそ発生しないけれど、社会的に見て「仕事」と認識されていると私は思う。

 何故、著者が「既婚女性は不自由で、怨念の塊みたいな恐ろしい存在になっている人が多い」と感じておられるのか、私には分からない。おそらく、不満の多い人が彼女のファンになっているから、ではないかと思う。不満がなければ自己啓発にはハマらないと思うので。そして、独身者の不満というのは、自分の事に限られるからシンプルだけれども、既婚者の不満というのは、自分の事だけでなく、配偶者や子供や義理親、義理親戚など、多岐に渡るから複雑で、それを著者は「おどろおどろしい」と感じているのではないかと思う。

 著者の、既婚女性は婚家の因縁をもらって体を壊す人が多い、という説も、それは単純に、出産育児からくる疲労じゃないだろうか、と思う。昔は出産で命を落とす女性も多かったわけで、今は死ぬ人こそ少ないが、やはり出産というのは女性の体を傷めるには違いなく、その後の子育てで疲弊が蓄積し、体を壊してしまう。既婚女性に持病が多いのは、一度も出産したことのない女性に比べると、それだけ体を酷使しているから当然ではないかと私は思うのだけれど。

 私は、スピ的な事を否定するタイプではなく、むしろ「そういう事もあるだろう」と思うほうなのだが、こういう「先祖の祟り」的な話はあまり納得できないのだ。自分自身が死んだ後、もし魂(先祖)として残ったとしたら、自分の子孫を守ってやろうと思いこそすれ、祟ってやろうとは絶対に思わないし。もし私自身の個人的に心残りがあったとしても、それを子孫に押し付けようとも思わないし。私の家に後々お嫁さんとして入ってくれる女性には、よく来てくれたと感謝こそすれ、「余所者だから祟ってやれ」的な気持ちにはならないと思う。

 「今の女性はまだまだ不自由だ」と言われると、自由っていったい何なのだろう?と思う。著者は「不満のある事=不自由、不満が無い事=自由」と感じておられるようだが、そうなのだろうか。というか、人生において不満がゼロな人なんて、存在するのだろうか。

 自由とは、できるだけいつも、心をクリアにしておく事ではないか、と私は思っている。不満は不満として、自分は何にどう不満を感じていて、それにどう対処して、どういう方向に行こうとしているのか、自分の中できれいに整理できている事。必要以上に思い惑わない事。心が常に整理されていて、世の中の流れを眺める余裕や、新しい方向に進む瞬発性を、備えている状態。凪いだ水面のような。その心の状態を、「自由」と呼ぶのではないかと、私は感じている。

 この著者のように、何はなくとも既婚女性は経済力をつけなければいけません、的な意見も分からないではないが、夫の稼ぎにどっぷり依存してそれで何ら不満を感じていない人間(私がまさにそう)もいる。何がなくとも経済力をつけなければ、としゃかりきになる事で、むしろ不自由になったり、体を壊したりする女性が増えたら、不幸な事だと思うのだが。

 まあ、ヒステリックに「反対反対」と騒ぎ立てるほどではないのだけれど、拝読してなんとなく違和感を感じたので、書いてみました。