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「鬼才、五社英雄の生涯」春日太一著

(ネタバレあります)

 この本は、「鬼龍院花子の生涯」「極道の妻たち」などで有名な五社英雄監督の生涯を書いた本です。

 私は、五社監督を、溢れんばかりの才気を武器に「俺は俺の撮りたい映画を撮る」という一匹狼的な人だったのだろうと思っていたのだが、実際には、フジテレビの社員さんだったそうだ。驚いた。そうなんだ。

 彼は、フジテレビのディレクターとして映画を撮る、という立場だったそうだ。「三匹の侍」とかヒットを飛ばしたらしい。丹波哲郎さんを起用して成功した。丹波さんがアクションをやりたがらなくなり、次の俳優を探して仲代達矢さんを起用。これも成功。ところが日本が不況に入り映画作りが苦しくなる。同時に五社監督自身のプライベートも崩れる。妻が二億円の借金を残して消えてしまい、娘が交通事故で危篤状態になり、五社監督は自殺を考える(が、それを「霊界の宣伝マン」丹波哲郎さんが止めたという話)。更に、五社監督は拳銃所持で逮捕され、前科者となった彼はフジテレビを退社する。51才の五社監督はこの年、仕事も家庭もお金も生きる意欲も、全てを失った。

 人は、どん底に落ちた時、そこからどう動くかで人生が変わるのだと、彼の生涯を見ても改めて思った。どん底に落ちた五社監督は、どうしたのか。

 知り合いに「仕事くれ」とどんどん手紙を書いたそうだ。大ヒット映画を量産した大監督が、恥も見栄も捨てて。その手紙を俳優座の佐藤正之氏という人が読み、なんとかしてやりたいと思った。ちょうど、子飼いの役者仲代達矢が、「鬼龍院花子の生涯」とう映画に出演依頼を受けており、それなら五社監督とセットなら仲代を出演させてやってもいい、という条件を出したのだ。それで、本当は別の監督が撮る予定だった「鬼龍院花子」を、五社が撮る事になった。

 ここから五社監督は、憑き物が憑いたように大ヒット作を撮り続けたわけで、またヒットしただけでなく、一つひとつの映画が独特の暗い個性を放っている。任侠や遊郭や濃厚な濡れ場が印象的だがそれだけではない、何か暗い苦しい潔さとも呼べる魅力を過剰なほどに、下品さと紙一重まで出し切っている。

 「何故濡れ場を撮るんですか」とインタビューで聞かれた五社監督は、こう答えている。(本文抜粋)「情念とか愛欲って、大人の映画にはついて回るものなんです。そういう毒は人生の中心にある。中心、ヘソから大きな渦みたいなものがグルリグルリ回り始める。それを見据えたいんですよ」

 また、五社監督の映画は、状況説明や心理描写を省いてしまうので、筋につじつまの合わない部分が出てくるという特徴がある。理屈よりも、パンチ力や熱気のある映像で繋いでしまうのだ。五社監督は「吉原炎上」の名取裕子さんに「台本は、納得がいかないところ、噛み砕けないところが一番味があるんだ」と語り、役柄の行動がよく理解できないと言う仲代達矢さんに「いいんだよ、筋があわなくても。画で繋ぐから」と答えている。

 この本を読んで、確かに、五社監督の映画を観て、「ここはどうしてこうなったんだろう。あの主人公はどうしてああいう行動をとったんだろう」と疑問に思った事が何度もあった事を思い出した。でも、結果的に、その疑問は心に残らない。心に残ったのは、暗い情念的な映像美と、迫力ある俳優さん達の演技の熱量だけだ。夏目雅子さんのあの狂ったように据わった目と汗ではりついた後れ毛が、心に深く残り、筋など理解できなくても構わないと思わせる力があった。

 「陽暉楼」の頃、五社監督は、背中一面に鬼の入れ墨を入れた。本にはその写真があったが、背中一面というよりも、肩から両腕の裏側、臀部まで、びっしりと入れ墨が彫られている。異様だ。もともとは手堅い会社員出の彼が、フリーの映画監督として怨念がほとばしるような映画を撮り続ける為には、異様で突飛な行動で自分を鼓舞せざるを得なかったのだと思う。後戻りできない所まで自分を追い詰めなくては進めない、そういう域まで自分を追い詰めたからこそ、五社英雄の映画はああいう迫力を出せたのかもしれない。

 私が日本の昔の映画で今また観たいなと思うのは、ほとんどが五社監督のものだ。また、昔の俳優さんを思い出す時、多くが五社映画の場面での彼等なのだ。例えば、先にも書いたが夏目雅子さんは「鬼龍院花子」の啖呵を切った場面。名取裕子さんは「吉原炎上」。岩下志麻さんも仲代達矢さんも緒方拳さんでさえ、五社映画での姿しか思い出せない。池上季実子さんも朝野温子さんもかたせ梨乃さんも樋口可南子さんも、五社映画での姿が印象として残っている。西川峰子さんなんか、「吉原炎上」のあの一場面でしか知らないが、あの場面だけでものすごく強い印象を受けた。それほどの強い記憶を、五社映画は観る人にうえこむエネルギーがある。それは、五社監督が背中一面に入れ墨を入れてまでして身を削って自らの中にわき出させたエネルギーなのだと思う。

 

 余談だが、「鬼龍院花子」の主役は、当初大竹しのぶさんがキャスティングされていたそうだ。だが、大竹さんが、五社映画の現場のきつさを嫌がり出演を断ってきた為、夏目雅子さんになったそうだ。夏目さんは当時すでに病に冒されており、闘病しながらの撮影だったらしい。当初、そもそも五社さんは、夏目さんで撮る事に気が進まなかったそうだが、夏目さんが自宅まで押しかけてなんとか出演させてくれと頼みこんだのだそうだ。その熱意に五社さんが負けて主演が決まり、撮影が始まった後で、夏目さんは五社さんに「実は自分は病気であり、入院しながらの撮影になる」と打ち明けたそうだ。ものすごい捨て身だ。「これがやりたい」と思った時、モラルも何もかも無視できる人がいるが、夏目さんはそういう人なのだと思う。いい悪いではなく。当然、五社さんは怒ったが、すでに撮影は始まっており時すでに遅し。撮影は夏目さんの入院のペースに合わせて撮影された。そして結果的に、夏目さんは見事な演技をやってのけたし、また、もし「鬼龍院花子」という映画がなければ、夏目雅子さんは、ただのきれいな女優さんという印象しか残らず、亡くなった後々の世まで語られる女優さんにはならなかった。

 大竹しのぶさんが「鬼龍院花子」をやっていたら、どうなっていただろう。まったく違う映画になっていただろう。苦しい撮影を自ら望んでいった夏目さんと、苦しい撮影なんか嫌だと拒否した大竹さん。私はどちらかと言えば夏目さんタイプの人間だが、年をとった今は大竹さんのほうに共感する。

 五社監督は、63才で、映画を撮りながら亡くなった。腸ねん転だったそうだ。プライベートは孤独な人だった。