書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

自分に負けて他人に勝つ

 時々、不思議だなと思う人に出会う。なんとも言えない嫌な緊張感、のようなものが伝わってくるのだけれど、その正体がよく分からない。多分、負けず嫌い意識が、この人は強いのだろうな、と感じるのだけれど、負けず嫌いな人がみんな嫌かというと、そうでもない。

 嫌な負けず嫌い、というのがあって。それを一言でズバリ言い切る事はとても難しいのだけれど、あえて言うなら、「その人の間違った言動は常に負けず嫌い意識から来ているのにそれを認めず、別のもっと聞こえのいい原因とすり替えて認識している」こういうタイプの負けず嫌いさんは、他人に妙な忌避意識を植え付けると思うのだ。

 例えば、自分が困った状態にある事を誰にも明かさず赤の他人の占い師なんかに相談して更に状況を悪化させる。どうして周囲に黙っていたのか、と聞くと、「心配かけたくなかったから」と答えるのだけれど。黙っていて状況が悪化すれば、遅かれ早かれ周囲に迷惑をかける事になるのは分かりきっているのに、それでもギリギリまで言わない。

 或いは、自分の言動から誰かに嫌われた時、「あの人は私のことが羨ましいから、私を嫌うのだ」と言ったり。いや明らかに嫉妬ではなく、シンプルにただ単に嫌われているだけなのに、嫉妬されているのだ、と言い張る。

 或いは、「私はなんて傲慢だったんだろう」と言うから「なんで?」と聞くと、「あの人が怒っているのも、あれがうまくいかないのも、あれもこれも全部私のせいだと思い込んでいたけれど、私って実はそんな影響力無いのよね。周囲の全てが私の影響だなんて思い込んでいて、どんだけ傲慢なんだろうと気づいた」と言ったりする。いや、「あの人が怒っている」のは、まぎれもなくあなたのせいだし、あなたの人生でうまくいかない事があるのは、あなた原因なんですが、、、と思って、自虐めかして自己肯定の駄目押しをするその人に、唖然とするのだ。

 そういう負けず嫌い意識というのは、同じタイプの人からは「分かる分かる、そうだよね」と共感されるだろうけれど、それ以外の人間からは苦手意識を持たれるから相当に損だと思う。けれど、そういうタイプの負けず嫌いさんというのは、何をどう経験しても、どんな人からどう言われても、何もかもを自分に都合よく驚くほど巧妙に変換して受け取るので、どうやら一生変わる事はないように思う。

 負けず嫌い意識は、他人にではなく、自分自身に向けると成功するように思う。自分に負けない、というか、自分の弱さに負けない事だけに集中すると、成功はしないまでも、まずます穏やかに生きていけるように思う。私自身がそれをできているのか、といえば、できている日もあれば、できていない日もある、という感じ。

 いや別に、自分に負けても全然構わないのだが、自分に負けているのに他人には勝とうとするのは、それはあかんのとちゃうか、と思う。逆に、平気で他人には負けられるのに自分には絶対負けないという人がたまにいて、そういう人は流石に凄い。凄みが違う。