書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

母の退院に付き添う

 先日、骨折で入院していた母が退院する事になり、付き添いに行きました。

 日程調節に失敗し、姉も帯状疱疹が出たので、予定をやりくりして無理やり時間を作り出し、病院まで大急ぎで出かけました。こういうの、疲れますね。

 あいにくの雨。病院から母のマンションに直行する為、母の数日分の食料(パンや野菜等)も家から持って行きまして、結構な荷物。朝一で駅前に着いたものの、雨でタクシーが出払っている。。

 それでも何とかタクシーを捕まえて病院へ。母と約束した通りの時間に到着し、病室へ行くと、母もちょうど出て来たところでした。小さめですがスーツケース。あと、トートバックのような鞄が3つ。片手が骨折している母が、これを持って移動できるわけがありません。

 母は、私も姉も退院日に都合が悪いと聞いて、「一人で退院できるから大丈夫」と言っていたのですが、この荷物じゃ無理です。どうして出来ないのに、出来ると言うのか、理解に苦しむ、、、。とまれ、無理やり来て良かったです。

 会計を済ませ(現金が足りず、私が後日振り込みする事に)、病院の前でタクシーを捕まえてマンションまで。着いたらちょうど管理人さんがお掃除されており、母は「長らく留守にしていましたが、帰って参りましたので」と挨拶していました。私も挨拶してからエレベーターに。

 母のマンションには大量の観葉植物があるので、定期的に水やりに通っており、その時に空気も入れかえたり軽く掃除したり、冷蔵庫内の腐りそうなものを処分したり等していたので、部屋の中は綺麗。スーツケースを開いて中身を整理したり、病院からもらってきた書類や薬を片付けたり、留守の間の郵便物をチェックしたり、お湯を沸かしてお茶を入れたり。

 そうこうしている間に、なんだかんだ母と話したのですが、やっぱり疲れますね。

 なんでこう疲れるんだろうか。

 母の退院に付き添うとか、そういう用事は疲れないのですが、母との会話に疲れるんですよね。

 前にも書きましたが、母は、私の前では絶対に私を誉めず姉を誉めるんですよね(姉の前では、姉を誉めずに私を誉めるそうです)。今回だと、入院中、お姉ちゃんがこんな事もしてくれた、あんな事もしてくれた、お姉ちゃんはこんなに気が利く、ああこれもお姉ちゃんが買ってきてくれた、等々。

 姉の前では間違いなく、私が母にしてあげたことを列挙している筈です。

 これねえ、、。された人間にしか分からないと思うのですが、嫌なものなんですよね。二人姉妹の一方だけを(本人じゃないほうを)、親が誉めるのを延々聞かされるのって。今更嫉妬でもないし、ライバル心もない。でも、なんとも言えない嫌な気持ちになる。私だって結構やってるのに、と思う。私がやってる事に対しては、母はどうして面と向かって誉めるなり感謝するなり、してくれないんだろう、と思うわけです。

 いや、母としては、私に対する感謝を、沢山言ってるつもりなんですよ。ただ言う相手が、私ではなく、姉である。姉に向かって、私に対する感謝を延々話す。姉も気分悪いでしょう。

 母はどういうつもりなのかなあ。私には「お姉ちゃんに大事にされている私」自慢、姉には「妹に大事にされている私」自慢、をして、自己承認欲求を満たしているのかもしれません。

 

 他には、過去に母がやって来た事の自己正当化を延々。どう考えても母が間違っていると私は思うのですが、母は「自分が正しい」を、独特の方向で、何ていうか「人の筋として」とか「常識を考えるなら」とか「私みたいな老婆が何を言っても」とか「親の気持ちは子供には分からない」とか、今更言ってもどうしようもない繰り言、恨みつらみを、延々話すわけです。これの相手が本当に疲れる。

 

 母と話していて疲れる事はまだ沢山あるのですが、例えば、私が几帳面で真面目である、という事が、母は気に入らないので、折に触れて嫌味を言われます。私は、セーター類は、一度着たら洗うのですが、母はシーズン終わりまで洗いません。冬のセーターなら、一冬ずっと着て、冬が終わった時に洗ってしまう、という感じ。私も、子供の頃は、セーターをずっと洗ってもらえなかったわけです。

 ある時、自分のセーターが臭い、という事に気付いた私は、それからは自分のセーターだけ自分で洗うようになりました。そして、一人暮らし以降ずっと、その習慣を続けています。これが母には気に入らない。今回も、「そこのそのベスト取って。ああ、このベストも、私は一冬着てから洗うのよ。あなたみたいに、しょっちゅう洗っていたら、ベストがすぐに傷んでしまう。もったいない。あなたは物を大事にしない」と言われました。

 なんと言われようと、私は、一日着たら、セーターでも洗います。臭いセーターを次の日も着るなんて、耐えられないです。それをして「物を粗末にする」と謗られても、どうしようもありません。

 余談になりますが、そもそも母は、物を洗うのが嫌いで、昔から髪の毛も週に一回しか洗わない人でした。それも、「今日は髪を洗うから」と朝から言っていて、洗髪ぐらいで大事でした。私は、毎日髪は洗う派です。理由は「臭くなるのが嫌だから」。母は、自分の髪の臭いに気が付いていないようでしたが、そばにいる人間は不快でした。セーターにしろ髪にしろ、洗わないと臭い。当たり前のことなので、私は、洗う自分が偉いとは全く思っていません。ただ、母は「洗わない自分が正しい」と思っているのか、もしくは洗わない自分にコンプレックスを抱えているのか、どちらかは分かりませんが、洗う派の私に嫌味を言うんですね。本当に疲れます。だって、私、悪くないから。

 私が几帳面で真面目だという事も、ことごとく嫌味の対象になりますね。この退院の日も、私は予定が詰まっていて、それについては母にしっかり何度も繰り返し伝えてあったのに、「今日はあなたが10時に来ると言うから、私は6時に起きて、万事整えて待っていたのよ。あなたは時間にピリピリする人だから、本当に疲れるわ」と言われました。誰の為に行ったのか。母の退院の付き添いの為じゃないのか。まるで私の用事に、母を付き合わせたみたいな言い方です。

 私は、10時に病院に行き、12時には母のマンションを飛び出すという離れ業をしなければ、その日の予定が回らないという事を、事前に何度も繰り返し伝えていたのに、この言われ方。

 しかも、「お昼にお弁当を4つ配達してもらうから、持って帰りなさい」と言う。それは、前日に断ったはずなのに。お弁当が届くのを待ってる時間的余裕などないと。母のマンションでの用事が終わったら、すぐに帰るからね、としつこく言ってあったのに。母は、私を呼び出した負い目を、「家族の人数分の高価なお弁当を持って帰らせる事」で、チャラにしたい。だから、私からいくら「お弁当はいらないから。持って帰れないから。頼まないで」と言われていても、そんなものは無視。自分が買いたいのだから買う。私は、つべこべ言わず持って帰ればいい、という考え方なのです。

 さすがに、お弁当が届くのを待つ余裕はなく、また雨の日で傘をさして電車を乗り継いで急いで帰るのに、大きなお重を3つも抱えて帰るなんて、考えただけで肩が死にます。ので、待たずに帰りました。母はずっと、まるで私が悪いかのように、文句を言っていました。

 知らんやん。私は断った。

 と母にスッパリ言ってやれればラクなのですが、それでへそ曲げられるとまた面倒くさいので、何を言われても返さずに、なんとなくする~っと帰って来ました。そしてその日の用事はすべて、滞りなく終える事が出来ました。やれやれ。

 

 これからも母と付き合わねばならない。母の用事をするのはいいんです。でも、母の話を聞かねばならないのが、本当に疲れる。どうして彼女は、ああなんだろう。私には分かりません。

 

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