書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

三連休への怨嗟と被災地支援願望。

 今日は愚痴です。

 秋の地獄で怒涛の三連休の中で、一番きついのが、この体育の日がらみの三連休です。なんせ私はこの家の主婦(という名の家政婦)なので、家人がいる日は仕事がきついのでございます。。長いお盆休みがやっとこさ終わり、ほっとする間もなく、秋は三連休がこれでもか、これでもか、とばかりにやって参ります。その最終回が、一応この体育の日がらみの三連休なわけで。台風で被害に遭われた方には、本当に申し訳ないほど情けない私の苦しみ、、。でも、しんどいものはしんどい。

 連休って、本当に必要?といつも思います。連休だと必ず混むから、出かける気になんてならないし、家にいたらいたで、家政婦の身としてはしんどい事この上なし。普通にカレンダー通りに生活して、個々人か勝手にお盆休みを取ったり、有給で連休を取ったりすれば、混みあう事なく出かけられるのでは?と思うのですが。ほんと、右へ倣えのGWも、お盆休みも、連休も、全部やめたらいいのに。そして、強制的に有給を消化するように国で決めたらいいのに。

 はー。あと一日。頑張ろう。 

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 夕食を作っていて思ったのですが。これが、被災された方の為に作っているのだとしたら、とても嬉しいだろうなあ私、と。家族の為に日々当たり前に消化される夕食を今日もまた作っている今、どうにもしんどいわけですが、これが、被災地で避難されている方の為の食事なのだと思えば、ものすごくやる気も出てくるし、やりがいも感じられ、とても嬉しいだろうと思ったのです。

 そう言えば、昨日と今日、ある主婦の方のブログを拝読して、「ああ、分かる、、」と思ったのを思い出しました。

 その方には二人幼児のお子様がおられて、お一人は発達障害児さんです。昨日の土曜日は台風で外出できなかったので、休日だったご主人と二人で、家の中で、二人のお子さんの面倒を見たのですが、夕方にはもう大人二人が疲労困憊で白目を剥く有様だったとか。そして翌日の今日日曜日。ご主人は、医療系のお仕事か何かで、被災地に行って来ると(行っても行かなくてもよかったようなのですが、行くべきだろうと言って)、早朝から出かけられたそうなのです。被災地までは、飛行機でいかねばならず、飛行機は飛んでいない状態なのに。空港で飛行機が飛ぶのを待つから、と言い残し、ガラガラとキャリーを引きずって出かけたのだとか。

 奥様は心中、割り切れないものを感じたそうです。確かに、確かに、被災地支援は大事。大事だけれども。大人二人でも面倒見るのが大変な幼児(一人は障害児)と家に残された自分の身は?私一人で、どうやって今日一日を乗り切れば?台風で荒れた家の外を片づける仕事をやりながら、どうやって子供二人をみればいいの?

 キャリーを引きずって家を出るご主人の姿が、何か、意気揚々としているというか、家から出られて嬉しそうというか、そういう風に見えてしまった奥様の気持ちが、私には痛いほど分かりました。

 息子が幼児の頃、私もワンオペの障害児育児に疲弊しておりました。夫は土日も仕事だ仕事だと、家にいない上に、家にいる時も仕事のストレスを私に当てつけてくるというか、自分がいかに仕事でしんどいかをアピールしてくるというか。もうだったら家にいないほうがいい、と思うほど、家にいる時の夫の醸し出す空気が嫌でした。

 仕事は大事。被災地支援も大事。でも、家に障害児と残される私の身は?と思ってしまう自分の未熟さが、何よりほとほとつくづく嫌でした。

 八方塞がりだったなあ、あの頃は。

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 家族の為の夕食を作りながら、これが被災地支援の夕食だったらどんなに私は嬉しいかなあ。ないものねだりというか、罰当たりというか、そんな事を考えてしまった夕方でした。

     ああ、私も人助けがしたい。家のことほっぽりだして、家事投げ出して、被災地支援に駆け付けたいなあ。

 うん。これも一種の逃避なんだとは、分かっております。家が無事にあって、変わらぬ日常を過ごせる事に感謝しなくては。そもそも、家事育児が仕事である専業主婦業を選んだのは、私自身なんだから。愚痴はおしまい。次回はもう少しマシな事を書きます。ではでは。