書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

率直に理由を相手に聞けばよいと思う。

久しぶりに拝読したブログ記事に、こんな文章を見てしまい、「うーーー」となっております。今日は批判記事になってしまうので、苦手な方はここまでにされて下さい。すみません。

 

拝読した記事には、こういう事が書いてありました。

嫌われることを怖がって、相手の態度が急に変わったらビクビクしちゃって、自分の中に原因を探して、原因らしきものを見つけては自分を責めて、改善しようと頑張って、 なのにどれだけ頑張っても、やっぱり嫌われる・・・

 

時々、こういう事を仰る方がおられますね。

相手から嫌われたと感じたら、「どうして私を嫌いになったのか。私のどこに落ち度があるのか」相手に聞けばいいだけのこと。それを聞かずに、自分で勝手に、私のここが人から嫌われる原因だと決めつける。それは大抵、見当違い。

なぜ相手に聞かないのかと言えば、相手に聞けば、自分が絶対に直したくない自分の欠点を相手に指摘されるから。指摘されてしまえば直さないわけにはいかないから、それを相手から言われない為に、相手には聞かず、自分で勝手に「これなら直せる」と思う理由を考えて「一生懸命直してるのにやっぱり嫌われる、、」と言い訳を言う。自己正当化というか。

嫌われたかもと思ったら、率直にその理由を相手に聞けばいいだけのことなのに、聞かない。イタい事を言われたくないから。そこが間違っているし、おそらく人から嫌われる理由は、そういう狡い態度にあると思います。

 

そして、こういう人は必ず、次のような結論に至るのです。再び、拝読した記事から抜粋させて頂きます。

私を嫌ってくる人は、私の中の何かがその人の拗ねている部分を刺激しちゃう人。 ただそれだけ。 そんな拗ねている人のために、自分を変えようとなんてしなくていい。勝手に相手に拗ねさせていればいいのです。

 

はい出ました、鏡の法則。これを持ち出せば、自分を批判してきた人を、逆に批判し返し自分を正当化できるので、自己啓発界隈では重宝されてますね。

客観的に見て、100%自分に落ち度がある時にでも、それを人から指摘されたら、この理論を持ち出し相手にそれ以上自分を批判させないようにするのです。悪いのは常に、自分を批判してきた相手側であって、自分ではない、自分は健気な善意の被害者であると、常に自己正当化ができる最強の理論が鏡の法則です。

この鏡の法則をふりかざしている間は、自分は一ミリも改善できないので、人生は落ちていくだけです。

人のフリ見て我がフリ直せではないですが、私も人から批判されるのは好きではないので、批判された時は、絶対に、上記のような理論に逃げて自己正当化しないように、くれぐれも気を付けようと思いました。

 

人から嫌われたと思ったら、その理由を率直に相手に尋ね、指摘された事は素直に受け取り自分改善に努める。当たり前の事を、当たり前にする。

勿論、相手がおかしい場合もあります。世の中に、「おかしな人」は沢山います。先日も、小学校教師が、後輩教師を苛めていたというニュースがあったばかりです。4人で一人を羽交い締めにして、目にカレーを入れている動画が流れていました。そういうおかしな人間は、世の中に沢山います。そういうおかしな人間から批判されても、聞く必要はないし無視すればいい。その場合はまた別の対応になるわけです。

けれども、まずは、相手が正しいという前提に立つことから逃げてはいけないと思います。最初から、相手がおかしい、という前提に立つのは、よくない姿勢だと思います。

世の中には「おかしな人」も確かにいる。でも、「おかしくない人」もいるのだから。

今日は、当たり前の事を書いてしまった、、、。しかも意地悪な内容で、自己嫌悪ですが、書いて整理したかったので、自分としては由とします。

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