書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

善人であっても同時に卑怯で不親切でもありうる、という事。

 前の記事の続きになるのですが、冷静にこの年になって考えてみると。

 姉も母も、日常的なうっ憤やマウンティング欲を、私で晴らしていたのだろうなあと思います。

 誰しもが日常生活に不満を抱きつつ暮らしているもの。100%何の不満もない、という人はいないわけで。また、誰かに腹をたてても、その相手に直接文句を言うと自分の立場が悪くなるので言えない、というような事もままあるわけで。そういう時、年下の兄弟や、子供など、自分に刃向えない弱い者に対して、そのうっ憤をぶつける人が、いるのですね。

 また、常に一番を取る事は不可能ですが、人に負けると悔しいわけで、誰かを負かしてマウンティングしたくなるわけで、そういう時も、年下の兄弟や、子供など、自分より弱い人間を小馬鹿にする事で、マウンティング欲を満たす事ができるわけです。そういう事をする人が、いる、と。

 私の姉や母が、そういう人達だったのだな、という事を、今この年になって、やっと冷静に考えられるようになりました。彼女達は、基本的には善人なのですが、同時に、そういう人達でもある、と。

 また、これは母に関してなのですが、私に説明する手間をわりと省く人でした。だから、私はたいていの事は、自分で調べて自分で考えて自分一人で解決していました。小学一年生ぐらいからそうしていた記憶があります。母に相談すると、ものすごく不機嫌になられたりして、辛くなるので、相談するのを止めたのです。私は知らない事がとても多かったなあ。初潮になった時も、なってから教えられました。私は初潮が早かったので、まだ学校でも習っていなかったのです。姉もとても早かったから、こういうのは遺伝だし、私も早い事は十分推測できたはずなのに、何も教えてもらっていなかったので、初潮になった時は何が何だか、、、。どうして前以て教えてくれなかったのだろう。。学校とか外出先でなったら、どうしてたんだろう・・?子供が困ったって知らないや、っていう気持ちだったのだろうか、、。謎過ぎる。その上、教えてくれたと言ってもとても雑で、「みんななるから」的な事だけで、あとは手当の仕方だけ教わっただけだった。あー。

 一方で、同じ小学校の頃ですが、私のお誕生日会を、母は張り切ってやってくれて、手作りのお料理やケーキ、それから、出席者全員に、母の手作りの小さなぬいぐるみまで渡していました。全部手作り。そういう事をする手間は、惜しまない人で。だから友達はみんな、私の母は優しい人だと言っていたっけ。で、私もずっとそう思っていた。

 でも同時に、なんか母や姉と付き合うとしんどい、しんどい、と思っていて、どうしてだろう?とずっと疑問だったわけですが、やっと分かりました。彼女達は、善人ではあるものの、同時に、卑怯でもあり不親切でもあったのですね。

 彼女達は、基本的には「いい人」だから、善人だから、私に対して、そんな卑怯な事をするはずがない、そんな不親切であるはずがない、と私は思い込んでいて。だから、なかなか気づけなかった。

 人って、多面性があるのだなあと思います。

 善人であっても、同時に、卑怯であり不親切でもある事は、ありうる。

 そこに気が付くと、逆に、人の卑怯さとか、不親切さに出会ってしまった時も、だからといってその人の全人格を否定するのは早計だろうと、一歩引いて考えられますね。

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