書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

「人に意見しない理由」と「姉と疎遠にした理由」は同じ。

 沈黙は金、という言葉がありますが。

 私は、どこか、人に意見しないという事を、至上命題のようにして生きております。ブログでは自分の意見をそのまま書いていますが(ブログというのはそういうもの)、誰かにそれを押し付けているわけではないので。つまり、自分の意見は表明しているものの、それを誰かに「あなたはこうすべき」と言っていっているわけではないので。

 (たま~にコメントを頂いて、お返事する際に、私の意見を書いているだけでも、もしかしたら、お相手は「意見を押し付けられてる」とお感じになるのでは?と心配になることがあります。かといって、お相手を否定しないように気を付けてお返事すると、果てしなく論点がぼやけてしまうので、受け取ったお相手がモヤモヤするお返事になってしまう。なので、コメントへのお返事は、私の意見を押し付ける感じになってしまうけれど、それはもう、コメント下さった方の自己責任で受け取って頂くしかないと割り切っております。誠意をもって書いているので、もうそれ以上のことは私にはできないし)

 話題をもとに戻しますが、何故人に意見しない事を命題にして生きているかというと、こういう事を言われたくないからなんです↓。

人は自分の価値観で物事を判断し、人をジャッジし決めつけ、意見するけど、人の人生の背景は他人には測りしれないという想像力があれば、求められずに簡単に意見はできないと思う。人に意見したがる人に限って、自分の問題から目をそらしているものだ。何故なら、そこには意見してやろうという、自分を高みに置いた価値観があり、自分は正しいという驕りがあるから。何をもって正しいのか、神のみぞ知る、ではないか?自分ごとに邁進している人は、他人に上からものをいう事はないはずだ

みたいな。。上↑の文章は、ある方の記事を引用させて頂いたのですが(勝手にすみません)。でもこういう考えはもう世間の常識で、この方に限らず多くの方が発言しており、みんなが内心では感じている事だと思います。意識するしないに関わらず。

 だから、私は、人に意見したくないわけです。人に意見した瞬間に、「ああ、私は、自分の問題から目をそらしたいのだな。自分を高みに置いていて、自分こそが正しいと驕っているのだな」と何より自分自身が、自分をそう感じるからです。それがとても嫌だからです。

 だから、私は、人に意見をしない事を、重々自分に言い聞かせて生きております。結局こういう姿勢は、どこかしら不自然なのだろうとも思いつつ。

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 少し話は変わりますが、私は姉と、とうとう疎遠にする事を決めました。今まで、厄介な人だと思いつつ、50年以上姉と、割と仲良く付き合ってきたのですが、とうとう距離を置く事を決めました。

 その理由も、実は、「人に意見しない」と決めた理由と、根っこのところで同じなのです。

 姉は、私に対して、小さい頃からずーっと、身勝手でひどい扱いをしてきたわけです。母がそれをたしなめてくれなかったので、子供の頃は、私はずっと姉からやられっぱなしで生きていましたし、姉は変わらないので、そのままの関係が大人になってもずっと続いていました。

 母が姉をたしなめなかった理由は分かりませんが、私が最後には姉を許して、仲良しに戻るといつも母は「お姉ちゃんからどんな事をされても、あなたは結局はそうなる。お姉ちゃんが大好きなのね」と私に言ってきました。

 また、今回、私が姉としばらく疎遠にする事を決めたと母に伝えたところ、母から「あなたにそんな事は無理でしょう。あなはたいつもそう言うけれど、結局はお姉ちゃんなしには生きていけないのだから」と言われました。

 まあ、小さい頃からずっと言われていたことですが、今回は心底カチンときたんですよね。

 私が姉を許し続けてきたのは、私が姉と喧嘩し続けていたら、家族の雰囲気が悪くなるから。二人っきりの姉妹なのだから、仲良くしなさいと母から言われて続けていたから。だから、私は折れて、我慢して、姉を許してきたのに、そこを評価してもらうどころか、むしろ馬鹿にされている事に、愕然としたのです。

 私は、どんなにひどい事をされても、姉から離れられない弱い人間だと思われている。その事に、カチンときたのです。

 寛大な心で人を許すと馬鹿にされる。こんな不本意なことはありません。

 だから、私はとうとう、姉と疎遠にする事を決めたのです。私が精一杯頑張って、姉を許し付き合いを再開したら、またぞろ母から「ほらね。言った通りでしょ。あなたは結局は、お姉ちゃんから離れられないお人よしなのよ」と言われますし、私自身も、自分をそう感じるでしょう。それがとてつもなく嫌なのです。 

 人に意見しないと決めた理由と、姉と疎遠にすると決めた理由には、いずれも、私自身が、私を嫌いにならない為に決めたこと、という共通点があります。

 まだ「私」という人間が私自身で確立できていなかったふわふわしていた頃は、ここまで徹底して決める事はできませんでした。でも今は、自分の心をできるだけ守りながら生きていきたいと思っています。自分を嫌いになりたくない、その為には、多少不自然な生き方になっても構わないと思うようになりました。

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