書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「和の国の神さま」桜井識子さん著

 大好き桜井識子さんの最新刊「和の国の神さま」が、先ほどアマゾンから届きました。9月9日発売なので、明日届くのかなと思っていたら、今日の午前中に到着です。いやいや、アマゾン早い。 

和の国の神さま

和の国の神さま

 

  ちょうど朝の家事ルーティンが終わり、昨日からやろうと思っていたセンター試験関連の書類にも一通り目を通したタイミングで、ヤマトさんが届けてくれました。この暑さのなか、ありがたい。

 さっそくページを開きました。この本は、「古事記について」「天照大神について」「高波動専門霊能力アップ講座」の三本立てになっていました。

 まずは、前から読みたいと思っていた「高波動専門霊能力アップ講座」から読み始めました。

 読み始めてすぐ、涙がボロボロで止まりません。

 私、基本的に、「泣く」という行為がものすごく嫌いで、日頃は滅多に泣きません。すぐ泣く人も苦手で、泣く事によって被害者にまわろうとしていると感じたり、繊細さアピールを感じてしまったりして、「泣く」事に否定的なのです。でも、桜井さんの本を読む時と、神社仏閣に行った時は、はからずも涙ボロボロになるので、その通りブログにも書いているのですが、読んで下さっている方には、「なんか、よく泣く人だな」と思われているかもしれません。それは少し心外なのです(どうでもいい事ですね、、すみません、、)。

 まあとにかく。

 この「霊能力アップ講座」部分は、50ページ程なのですが、最初から最後まで泣きながら読みました。真昼間のリビングで。さっきまで、息子のセンター試験の説明書をマーカーで記入しながら熟読していたその流れで読み始めたのに。

 どんな事が書いてあるのかというと。

①程度の差はあるが、霊能力自体は誰にでも必ずある、ということ。今現在、神仏の事が視えない分からないというのは、その霊能力が開眼されていないからなだけ。

②霊能力を開眼する為には、「わかる」トレーニングを積むしかない(「わかる」とはどういう事かも、具体的に説明されています)。

③トレーニングは、神社仏閣や霊山などで「わかる」経験をコツコツ積むこと(具体的に、どこでどのようにトレーニングすればいいか、も書いて下さっています)

④大事なのは、焦らない事と、人と比べない事。早く分かるようになるのがいいのではなく、「確実に神仏などの高波動が分かる」事が何よりも大事。早く早くと焦ると、高波動を騙った別のものに繋がってしまう。それで「分かった」となるのが一番危ない。時間がかかってもいいから焦らず、着実に「分かる」土台を作ることが大事。

⑤自分が「霊能力アップのトレーニング中である」という事は、神社仏閣に行った際に、神仏に言っておくと良い。助けてくれる。

⑥人は、神社によりなじむタイプと、お寺によりなじむタイプに、たいていは分かれる。自分がどちらでよりリラックスできるか考え、神社タイプだと思うなら神社に、お寺タイプだと思うならお寺に、偏っていいので通うほうが、トレーニングは早く進む。見分ける簡単な方法は、祝詞と般若心経、どちらが覚えやすいか、で判断してもいい。

⑦桜井さんご自身は、神社タイプなので、霊能力を開眼する為に、大阪から熊野三山に通った。当時は介護の仕事をしていて(お給料が安かったので)お金も時間もなかった為、仕事の休みの日、閉店間際に格安レンタカーを借りて、夜中に走って熊野に行き、駐車場で止めて車の中で寝て、早朝から三神社(三柱)を訪ね、夜までに大阪に帰って閉店間際に車を返却した。これだと、レンタカー代が一日分で済み、また、宿泊費がかからないから。

などなど、、、。

 箇条書きでほんの一部が書きましたが、こういう事を書いている本というのを、私は他に知りません。

 私がどうして泣いたのかというと、多分、こういう「なんとかして、一人でも多くの人が、霊能力を開眼できるように、自分のできる事を全てやりたい」という桜井さんの気持ちが、文章からジンジン伝わってきたからです。

 ハッキリ言って、世の中に霊能力者が溢れたら、桜井さん商売あがったりなわけです。桜井さんは、「霊能力がある」という特別感で、本が売れている。みんなが霊能力を持ち出したら、桜井さんの本は価値がなくなります。にも関わらず、一人でも多くの人に、霊能力を開眼して欲しい、というそのお気持ちが伝わる文章なのです。

 そして、とても具体的。こうやって、こうやって、こうすると、こういう風になって、それが「分かる」という事でね、それを繰り返すと次にこうなってね、という風に、本気で霊能力を開眼させたいと考える人に、いわば「秘伝をおしげもなく伝授」して下さっています。

 やっぱ、この人、凄いわ。。と改めて思いました。

 この章で、私が強く感銘を受けたのは、「気づく」と「分かる」が、違う、という事です。「気づく」というのは、厳密に言えば頭で考えた結果であり、それは「分かる」ではありません。「分かる」は、考える時間ゼロで、瞬時に「分かる」のであって、それを「分かる」と言う。

 例えば、神社を参拝した時に、風がさわさわ~と吹き抜けて行った、と。「あ、これは歓迎のサインかも」と考えて嬉しくなったのであれば、それは「気づく」であって、「分かる」ではないそうです。風が吹き抜けて行った瞬間に、何も考える前に、「嬉しい。歓迎された」と感じたら、それは「分かった」という事だそうです。

 気づくのがいけないわけではなく、でも、「気づく」と「分かる」は違うのだ、という事を、何度も色んな例を挙げて説明して下さっていて、よく理解できました。

 他のこういうたぐいの本や説明だと、みんな「気づく」推しだと思います。「気づく」と「分かる」が違うという事、また、霊能力は「分かる」だという事を、ここまでハッキリ書いておられるのは、この本だけだと思います。

 まだ一つの章を読んだだけなのですが、あまりにも感動したので、ブログ書いてしまいました。今から他の章も読みます。楽しみです。