書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「過干渉」と「手出ししない見守り」の根底にあるもの。

 子育てについては、自分自身がまだ渦中でもあり、思うところが色々あるので、時々わーっと書きたくなります。というわけで、今日は子育ての事を書きます。

 子育てにおいて、「過干渉」は避けるべき態度だというのは、よく言われる事です。でも私はいつも思うのですが、何をもってして「過干渉」とするのかは、あまりきちんと定義されていないように思います。

 私は、子供が必要としている手出し口出しは、すべきだと思っています。子供の立場に立って考えてみて、「ここは親が助けてあげるべきケースだな」と思う時は、手出し口出ししてあげても良い、むしろ、してあげるべきだ、と思っています。具体的に、何が必要な手出し口出しなのかは、子供一人ひとりで違うので、子供の立場に立って一つひとつ考えるしかありません。

 一方で、子供が必要としていない手出し口出し、はするべきではないわけです。それはほとんどが、親に都合よく子供をコントロールしようとする姿勢から出ています。子供にこうあって欲しいから、「こうしたほうがいいよ」「こうしなさい」と言い、子供がそうするように仕向ける。これは過干渉で、控えるべき態度だと思います。

 まとめると。

 親が子供にこうあって欲しいという欲求を、子供に押し付けるのが、「過干渉」。つまり、親のエゴからの行動が、「過干渉」なわけです。

 同じ手出し口出しでも、親のエゴが入らないもの、子供視点に立った子供に必要なものは、過干渉ではないと、私は思っています。

 「過干渉」で子育てする親というのは、つまり、「エゴからの行動をする人」という事です。これを、一つ押さえておきます。

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 で。

 親の過干渉や、また、助けて欲しい時に親から助けてもらえなかった事など、不適切な子育てをされてしまった子供は、よほど強い子は大丈夫ですが、弱い子は何らかの「困った状態」に陥いります。たとえば、不登校とか。

 そうなった時に、「過干渉」だった親が、一転して、「手出し口出ししない見守るだけの」子育てに切り替えるケースが多いように思います。理由は、子供が困った状態になった時にどこかに相談に行くと、必ず「親の過干渉が原因なので、手出し口出しは控えて、見守る育児に切り替えなさい」と言われるからです。

 でも、私は思うのですが。

 この「見守り育児」もまた、良い「見守り」と、悪い「見守り」があると思うのです。

 良い「見守り」とは、過干渉の時と同じですが、子供の立場にたって、子供視点で考えた時に、子供が必要としない事には手出しせず見守り、子供が必要としている事だけ助けてあげる、というものです。

 なので当然、悪い「見守り」というのは、子供から口頭でハッキリと「お母さん、〇〇して下さい」と要求されない限り、何もしない、というものです。親自身の行動基準を、「子供に要求された時だけ動く」という風に、決めてしまうのです。

 つまり、この悪い「見守り」も、子供視点に立つ、という事をせず、どこまでも、親発進の子育てなのです。

 「過干渉」は、親自身のエゴで子供をコントロールする子育て。悪いほうの「見守り」は、子供が必要としているかどうかは考えず、「子供から要求された時のみ動く」というただ一つの基準で自分の行動を決めている。

 「過干渉」にも、悪いほうの「見守り」にも、子供視点はありません。どこまでの、親視点のみ。「親自身がどうするか。親自身がどう動くか」しかない。

 本来の子育てというのは、子供視点に立って、「子供にとって必要な事は何か」を常に考え、探り、子供にとって必要な事を親がやっていくことだと思います。

 なので、「過干渉」で子供が困った状態になってしまい、今度は逆に振り切って、悪いほうの「見守り」を実行したとしても、子供は困った状態から抜け出せないと思います。そこには、親発進の視点しかなく、子供の立場に立って考える視点が無いからです。

 子供が困った状態になった時に、親がすべき事は、「自分はどうしたらいいのか」を考えることではなく、「子供にとって必要な事は何か」を考える事だと思います。そしてそれが何か分かったら、どんなに困難であっても、やってあげる事、やり続けてあげる事です。それが、困った状態になった子供を、救う唯一の方法だと私は思います。

 子供視点に立って、子供が必要な事をし続けてあげる事。

 短絡的に、「今まで過干渉だったから、今度は、手出し口出しを止めてひたすら見守る事にして」も、根底にあるものは同じなので、何も変わらないと思います。根底にあるものとは、親自身のエゴです。「私が」「私は」という、「私」意識です。

 親自身が「私はどうしたらいいか」を考えるのではなく、親のエゴを捨てて、「子供が何を必要としているのか」を考える事が、大事だと思います。子供は何を必要としているのか、何を必要としていないのか、常にそこに視点を置きつづければ、子育てをさほど大きく間違う事はないと私は思っています。

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 子供には、強い子と弱い子がいるので、強い子であれば、親がどんな育て方をしても、まあ大丈夫です。常に子供視点に立って、慎重に育ててあげなくてはいけないのは、弱い子の場合だけです。なので、強い子を育てておられる親御さんからしたら、私の書いている事は、「そこまで神経質にならなくても」という事だと思います。でも、弱い子を育てておられる親御さんには、おそらくある程度分かって頂ける考え方ではないかと思います。