書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

発達障害児の場合、言語化できないからといって、理解できていないわけではない。

 今朝、こちら↓の記事を読んで、「そうか、健常児さんだとこうなんだなあ」と改めて我が子との違いを感じたので、今日はその事を書きます。

 読んだ記事はコチラ↓

勉強が出来る子と苦手な子の比較に「分かる!」の声や「出来る子はそう考えていたのか…」の声→それ以外のパターンの子も集まる「勉強とか超越した子」 - Togetter

 

 上の記事には、勉強が出来る子に教える時と、出来ない子に教える時の、子供の反応の違いが書かれています。勝手ながら抜粋させて頂くとこんな感じです。 

出来る子の場合:

生徒「これがわかりません」

私「んー?最初は何をする?」

生徒「分配法則でカッコを外します」

私「いいんじゃない?それから?」

生徒「そうするとこうなりますよね。でもここで行き詰って」

私「これ、因数分解できるんじゃない?」

生徒「あっ、本当ですね」

 

出来ない子の場合:

生徒「これがわかりません」

私「最初に何をするの?」

生徒「3」

私「何をしたのか日本語で説明することはできる?」

生徒「普通に計算して……」

私「普通って何?」

生徒「3じゃないんですか」

私「ちがうな」

生徒「あっ、5ですか?」

私「まず最初にすることは?」

 

 記事を書いた方は、「我々はフォン・ノイマンではないのですから、言語化せずに結論をぱっと出すことは不可能です。でも勉強が苦手な子は思考過程を言語化することができない。結論だけを言おうとするんです」と、まとめておられます。

 ああ、確かに。健常児さんの場合は、こういう傾向にまとめられるのだろうなあと思いました。

 でも、上の記事は、発達障害児にはあてはまらないかもしれません。

 発達障害児は言語能力が弱い子が多いので、理解はできていても、自らの言葉でその思考回路を言語化することができないからです。

 発達障害児に対しては、「この子は思考回路を言語化できていない→理解できていない」と決めつけられない場合があると、経験上思います。

    いえ勿論、健常児さんなら、上の定義はみんな当てはまるのだろうと思います。その子が理解しているかいないかは、言語化できるかできないかで判断可能なのだろうと。でも、脳の言語分野に障害を持つ発達障害児には、当てはまらない場合があるのではないか、と思ったのです。まさに息子のような。

 

 息子の一学期の成績の評定平均は4.5を超えていますが(まだもらっていないので分からないですが、多分4.7ぐらい)、自らの思考回路を言語化はできません。だから将来の職業選択の幅もごく狭く、勉強出来ても無職の可能性はあります。そうならないよう精一杯努力はしていますが、言語能力のハンデは障害なので、努力で改善できる事には限りがあります。

 

 そんな息子が問題を解いていて、分からない所を私に聞いてくる時は、こんな感じです。(数学は彼は得意なので私に聞いてくる事はないので、化学を例に挙げます。すみません)

息子「153番の、問1が分からない」

私「SO2とH2Sが反応する時のSO2が酸化剤になる理由が分からないってこと?どうして還元剤じゃなくて酸化剤なのかって事?」

息子「そう」

私「反応式を作ればわかるから、作ってみて」

息子、反応式を書く。

私「SO2が、Sになってるでしょ。人にOを渡して酸化させてる。だから酸化剤だよ」

息子「分かった」

私「じゃあさ、SO2とH2O2を反応させる時の反応式書いてみて」

息子、書く。

私「この時のは、酸化剤?還元剤?」SO2はH2SO4になっている。

息子「還元剤」

私「そうだね」

還元剤と答えられたので、息子は頭の中ではSO2はH2SO4になっている、だから還元剤と分かっています。でも、この赤文字の部分を息子が自ら言語化する事はできません。でも、理解はしているのです。その証拠に、その後やる類似問題は、すらすら解いていくからです。

 息子の頭の中は私には分かりませんが、どうも観念的に理解しているのであって、言語的に理解しているのでは、ないようです。彼の頭の中だけで問題を処理している分には、言語化は必要ないようです。「いや、頭の中でも言語化は必要だ」というご意見もあるでしょうが、私が息子を見ていて感じるのは、「この子は脳内でいちいち言語化せずに処理しているからこそ、思考が早く正確で暗記が完璧なのではないか」という事です。息子の問題を解いていくスピードを見ていると、脳内で複数の計算や推論や暗記を、全て同時進行で行っているように思います。計算も暗算が多くあまり書きませんが正確で早いです。発達障害特有の脳構造だと思います。

 

 いずれにしても。

 発達障害児の場合、自分の思考回路を、うまく言語化できない子がいます。でも、理解していないわけではない、場合があります。言語化できないなら、理解していないのだ、と安易に決めつけるのは悲劇です。

 何故かというと、すでにその子がその部分の理解がちゃんと出来ていて、でもただ言語化できないだけにも関わらず、「理解できていないのだ」と判断されて、しつこく言語化を強制される(でも、どれだけ強制されても、できないものはできない)事は、発達障害児にとって、百害あって一利なし、だからです。

 まず時間の無駄、というのがあります。絶対に出来ない言語化に延々時間を割くのではなく、類似問題を沢山やらせて理解しているか検証したほうが確かです。

 また、どれだけ努力しても出来ない「言語化」を無理強いされる事で、本人のやる気が削がれます。大人が「これだけ教えて何故できないの?」と溜息の一つでもついたら、本人は自分が「出来ない子なのだ」と思ってしまいます。


 こういう事は、親御さんだけでなく、できれば学校や塾の先生も、分かっていてくださると有難いです。

 息子が小学生だった時の個人塾の先生が、わりと息子に「理解したかどうか、逐一言語化させて確認したがる」先生でして。当然、息子は言語化できないので、勉強は遅々として進まず、塾に行ったはいいが、一問もクリアできずに帰って来る(息子が言語化できなかった為、先生が先に進んでくれなかった←被害者意識満載の言い方で申し訳ないですが)という事がちょいちょいあり、親としてはどうしていいか分かりませんでした。因みに先生には、息子が障害児である事はお伝えしていました。でも当時は発達障害は今ほど知られていませんでしたから、先生も困られた事と思います。

 小学校当時、息子の学校の成績は最低レベルだったし、だから本当は息子は理解しているのです、と先生に言いに行く根拠が、私にはありませんでした。なんとなく分かっているような気がするんだけどなあ、という程度で。でも逆に、なんとなく分かっている気がするのに、言語化できないせいで、足止めさせられている事に、割り切れない思いも感じていました。今思うと、小学校の頃は、本当に霧の中をもがいていた時期だったと思います。


 今日の記事は、息子のようなタイプの障害児さんをお持ちの方に、何かお役にたてればと思って書きました。引用させて頂いた上記の記事の正しさを否定するものではありません。この世界は圧倒的に健常者の方が多いのですから。


(少し追記しました)