書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

バレたくない、負けたくない。

 ふと頭に浮かんだことがあるので、今日はそれを一気に書いてしまう。

 言語道断な事をしている人が、そのことを人から追及された時に、必ず激しく逆切れするのは、何故なのだろう。

 多分、自分の悪事がバレたくない(だからキレる事によってそれ以上の追及をかわそうとする)のと、追及してくる相手に負けたくない、のと、両方だろうと思う。

 バレたくない、そして、負けたくない。故の逆ギレ。

 

 あるカウンセラーさんが、そういう時に、こちら側はあえて負けてあげると良い、と仰っていて、「えええ~???」と思った。

 相談者の人は「夫が明らかに浮気しているのに、それを追及したら逆切れするのでどうしたらいいか?」と相談していたのだが、その答えとしてそのカウンセラーさんは、「あなたが、浮気相手に(女として)負けた、という事を、認めてしまえばいい。あなたが負けを認めたら、御主人は変わるよ」と答えていたのだ。

 いやいや。そんな事はないでしょう。

 私の経験では、悪事を平気でする人というのは、相手を見ている。追及してこない相手のことは、とことん下に見て、つけあがる。平気で得手勝手なことをして、そういう我儘気ままが許してもらえる自分に酔う。自分には人並み外れた多大な魅力があるから許されていると勘違いする。また、許してくれる相手の事を、口では「感謝している」とか言いつつ、心の中では馬鹿にして、得手勝手がどんどんエスカレートしていく。

 だから、人から言語道断な事をされたら、きちんと指摘して、キッパリ縁を切る。それしかないと私は思う。相手の悪事を指摘した上で、それでも仲良く付き合っていくのは、相当難しい。縁を切る覚悟は必要だと思う。こちらに、そこまでの覚悟がないとなめられるし、言葉に遠慮が生まれて切れ味が鈍る。言うべき事が言い切れずにうやむやになり、相手の言い訳に流されて終わる。

 

 以前の私は、誰から何をされても、クレームをつけるのが面倒で、スルーしていた。もちろん、あまり関係のない他人なら、スルーして忘れるほうがラクだからそれで良かったけれど、関係の深い人だと、スルーしてはいけなかったのだなあと、最近つくづく感じている。

 「あなたのココが間違っている」と、事実だけをきちんと提示して指摘し、相手が逆切れしてきたら、キッパリ縁を切る。そうしないと、いつまでも迷惑をかけ続けられるし、その迷惑の度合いが、どんどんエスカレートして、そのストレスでこちらが倒れてしまう。

 言語道断なことをしておいて、平気な顔で改善もせず、謝りもせず、それを指摘されたら逆切れするような人に対して、こちらが負けてあげたりしたら、大変なことになる。「ああ、この人は、何をされても、怖くて反撃できない弱いタイプなんだな。好き勝手できる相手だな」と思われる。そして、迷惑の度合いが増していくだけだ。

 もちろん。悪事をする人にも、良い面は沢山ある。私は以前は、「あの人は、あんなに悪い事ばかりしてくるけれど、良い所も沢山あるから、許してあげよう、悪い所は見逃してあげよう」というスタンスだった。でも、これではいけないとある時気づいた。

 人間というのは弱いのだ。自分の悪い面を、指摘されても改善などできないのは勿論のこと、指摘されずに見逃してもらったら、もっと図々しくなっても大丈夫なのだと思ってしまうものなのだ。人が、自分の悪い面を本当に直さねばと思う時というのは、自分の悪行のせいで苦しい経験をした時だけだ。

 だから、良い所が沢山ある人でも、悪い事をしたら許してはいけない。自分の悪行のせいで責められた孤独になった、という辛い経験をして初めて、その人は悪行を反省し改善する気になる可能性がある。あくまで可能性であって、辛い経験をしても、それでも反省できず、改善もできない人もいる。でも、それは、こちらには分からないし、相手が改善するかしないかも、こちらには関係ない。こちらのできる事は、相手の悪事を指摘し、速やかに離れる事、それだけだ。

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 よく、心理学のテクニックで「アイメッセージ」等といって、相手の悪事を指摘する時は、相手を責めるのではなく、それによって自分はどう思ったのか、その自分の感情だけを伝えれば、相手は怒らない、と言われるけれど、それも嘘だと私は思う。

 「あなたのあの行為で、私はとても傷ついた」とか、そんな自分の感情なんか伝えても、暑苦しいだけで、何の説得力もない。

 相手の悪事を指摘する時は、シンプルに、事実だけを伝える。自分の感情は入れない。それで相手が逆切れしてきたら、ではここまで、と去ればいい。

 

 縁を切れない相手なら、どれだけ迷惑を被っても耐えるしかないけれど、本当に縁を切れないのかどうか、よく考えるべきだと思う。

 そこまでの不快さを我慢してでも、付き合わねばならない相手なのかどうか。縁を切ったら、どれだけ問題なのか。

 意外と、縁を切っても、さして問題は起こらないかもしれない。

 少なくとも、悪事をしてくる相手に、あえて負けてやるなんて事は、何の意味もないし、自分を更に苦しい状況に追い込むだけだと私は思う。

 ただ。

 自分も悪いのなら、別。ここに書いた事はすべて、自分に落ち度は一切ない場合のみに有効で、自分に多少でも落ち度があれば、まずはそこを反省し改善するのが先決。相手を責めるのは、自分が改善できてからの話。

 自分が改善できてはじめて、相手を責める権利を得る。また、相手と絶縁する覚悟を持って初めて、相手を責める事が可能になると思う。

 それぐらい、人の非を指摘するという事は、ハードルが高いという事を、今日は改めて考えた。それでも、迷惑をかけ続けられることを拒否したいなら、やるしかないわけで。

 上のカウンセラーさんのように、自分もグダグダなままで、相手ともずっと仲良しのままで、相手の悪行が改善されるなんていうことは、あり得ないと思うし、ましてや自分がわざと負けてあげれば相手は勝手に変わっていくよ、というのは、眉唾物に思える。

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