書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

実質的な損失を人に与えないこと。

 今日も涼しいですね。

 家中に涼しい風が吹き渡っていて、ほわ~となります。久々にのんびりリラックスした休日を過ごしております。

 気になり事項については、出来る手は全て打ったので、あとは状況を油断せずチェックしつつ待つのみです。やっと心の底から割り切れたので、気分が晴れました。

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 それで、今日は全然関係ない事を、つれづれに考えておりました。

 自分も含め、人というのは、不思議なものでして。力もないくせに、力があるように見せたり。能力などないくせに、能力があるように見せたり。上に出る器でもないくせに、上に出ようとしたり。さほど純粋でもないくせに、純粋であるように言ってみたり。実際よく分かっていないくせに、分かっている風に人を指導したり。冷静に考えてみるとおかしな事を、日常的に平然とやっていて、それが人間関係をぎくしゃくさせている事に気が付いていないなあと。

 私もです。というか、私こそは、です。

 だから、こういうバカげたことは、今日を境に本当にキッパリやめようと、つくづく思います。

 それと。人のそういうちぐはぐな行為は、人間関係をぎくしゃくさせる事は間違いないとしても、ぎくしゃくさせる程度で、決定的に壊しはしません。

 人間関係を、決定的に壊すものは、「実利における被害」だと私は思います。

 精神的な被害は、まだ、距離を置く、縁を切る、という程度でおわるけれど、実利的な被害を被ると、これはもう、大々的なバトルに発展してしまう。

 実利とはまあ、金銭面や、地位名誉。実際的な損を被ると、それにおける怒りというのはもう、莫大なものになってしまう。

 だから、実際的な損失を、人に与えないように気を付けて生きていくことは、大事だなあと思います。

 実質的な損失を人に与えないこと。

 それだけはしないと心していれば、後はお気楽に生きていても、まあまあ大丈夫じゃないかと。そういう意味では、決定的な行動をとる前にだけは慎重になる、と心がけておけばよいわけで、それ以外の日常はぼんやり生きていても、人生たいして問題は起こらないのではないかと。四六時中気を張って暮らしていると、疲れてしまいますものね。

 メリハリというか、これだけは、というか、注意すべき点だけ強く意識しておいて、あとはぼーっとしていても、まあ良いのではないかと、思う6月でございます。もうすぐ梅雨ですねえ。紫陽花が美しい。

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