書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

心の二重底状態

 はてなブログで下記の記事を拝読しました。考えることがあったので、今日はそのことを書きます。

読んだ記事はコチラ↓

「理不尽なキレ方」をする人の恐怖は、直接被害を受けた人以外に伝わりにくいものなのかな - この夜が明けるまであと百万の祈り

 

 上記記事の主旨は、「何故、理不尽にキレる人がいるのか」というものだと、勝手に解釈し、私なりにその理由を考えてみました。

 人が理不尽にキレる理由は沢山あると思いますが、その一つとして「その人の心が二重底状態になっている」からではないかと、私は思っています。

 というのも、時々、心が二重底状態になっている人を見るからです。そして、そういう人は、例外なくキレます。

 誰にとっても人生というのは、ままならないものですが、そういう人は、自分の人生がままならないものである事を、知っています。と同時に、夢のように人生が自分の思い通りになるとも思っています。

 つまり、①現実の人生(自分の思い通りにならないほう)と、➁自分に都合よく作り出した夢の人生(思い通りになるほう)の2つを、そういう人は生きているわけです。心が二重底になっているのです。

 そういう人は、①を分かっていながら、実際には➁で生きているわけで、①と➁は矛盾するものなので、そういう人の言動は、欺瞞と嘘に満ちてしまいます。

 当然、誰かが①と➁の矛盾を突くような事を言うと、そういう人は逆キレし、ひどく攻撃的になるわけです。なんなら、自分の矛盾を突かれる危険を察知しただけで、防御の気持ちから激しい怒りをぶつけてくる事もあります。それは、現実の生活①と、自分のご都合主義に逃げている➁の矛盾を、指摘され責められる恐怖からだと思います。恐怖で一杯になっている時のそういう人には、普通の言葉は通用しません。人格も豹変します。だからとても怖いです。

 上記記事の主さんが、「理不尽にキレられるのは怖い」と書かれているのは、私にはとても理解できます。

 恐怖から防御の為に攻撃的になる人の、攻撃性というのは常軌を逸しているし、まともな会話が通じないので、恐ろしいです。

 これは、建前と本音、というような二重性ではありません。建前と本音というのは、並べてみても矛盾はしません。本音はこうだけれど、人に直接言うわけにはいかないから、表現を変えたものが建前です。指摘されたら、「ああ、なるほど」と相手を納得させる説明ができます。

 でも、心の二重底は、自分のご都合主義からくる心の弱さを露呈したものですから、指摘されても、自分を正当化したままで、相手を納得させる説明はできません。自分が間違っていると認めないわけにはいかないのです。でも、自分の非を認めるわけにもいきません。認めれば、改善しなくてはいけませんが、それは絶対にしたくないからです。そういう人は、今のまま、ご都合主義を押し通したまま生きていたいからです。

 そういう人が、矛盾を指摘され自己正当化もできず、かといって非を認めて改善するのも嫌、という状況に追い詰められた時、もしくは追い詰められそうになった時に、理不尽にキレるのだと私は思います。窮鼠猫を噛む、ということわざに近い状態かもしれません。

 これが、私の考える「人が理不尽にキレる理由」の一つです。他にも理由は沢山あると思いますが、人の言動に矛盾を感じても、指摘しないことが、キレられない秘訣の一つではないかなと思っています。

 こちらが何もしていないのに、うっぷん晴らしの相手にされて、理不尽にキレられる場合は、相手の前から消える覚悟の上で(家族なら縁を切る、職場なら辞める、等)、一度きちんとガツンと反論するしかありません。そういう人は、自分より弱い立場の人にだけキレるので、弱くないという事を態度で示すしかないのです。でも、それによって更にキレられ関係が悪化する可能性もあるので、こちらが反論する時は、縁を切る覚悟の上で、という事になります。

 いずれにしても、自分の身は、自分で守っていくしかないなあと思います。厳しいですね。

 

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 最近、毎日、どこかで蝶を見ます。一日一蝶々(笑)。今日は、黄色いお花に黄色い蝶がいて、あまりにも可愛かったので、撮ってみました。透き通る日差しが、スポットライトのようでした。