書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

幸せな気分を大事にする

 今日は、抽象的なことを書きます。

 日々なんとなく惰性で過ごしてしまっているな、と最近気づき、意識的に幸せな気分を大事にするよう心がけることにしました。

 勿論、日々嫌でもやらねばならない事は沢山あるので、それは割り切って淡々とやります。そこをサボるという事はしません。でも、24時間嫌な事をやり続けねばならないわけではないので。何もしなくていい時間も当然あるので。そういう時間には、意識して、心を幸せ気分に持っていくようにしています。

 少し前の嫌な事とか、これから起こる嫌な事に、気持ちを持っていかれないように。

 そういう風に考えるようになったのは、年齢的に、人生が残りわずかである事に、気が付いた故でもあります。今53歳なので、うまくいってあと20年でしょうか。30年でしょうか。いずれにしても、ごく僅かです。

 その僅かな時間を、可能な限り、できるだけ気持ち良く過ごしたいなと思ったのです。

 現実として、嫌な事を言われたりされたりしても、そこに気持ち持っていかれないようにする。現実を無視するわけではなく、それはそれであった事はあった事ときちんと把握して、私にできる対処があるならできる限り対処し、私にはどうしようもない事ならば何もしない。そして、やるべき事をさっさとやった後は、もう忘れる。

 同じく、現実として、嫌な事をせねばならない時も、嫌だからと逃げないでちゃんとやる。また、現実として、自分の愚かさで失敗したという事実があったとしても、言い訳して逃げないで、きちんと見て、認めて、謝るなり償うなりやり、反省して二度としないように手を打つ。そして、同じくやるべき事をさっさとやった後は、もう忘れる。

 自分の自由時間には、それまであった、また、今後あるだろう嫌な事に気分を持って行かれず、それはそれとして、キッパリと切り分け、自分の時間には入れない。自分の時間は、自分にとっての幸せで埋め尽くす。

 自分が、心から幸せを感じる事をする。私なら、お散歩とか読書とか。音楽を聴きながら、気持ちのいい場所を気持よく歩く。読みたい本に没頭する。沢山お散歩ができた事、沢山本が読めた事、その嬉しさで私の時間を満たせば、残り僅かな人生を、幸せな気持ちで過ごす事ができるように思うのです。

 自分の気持ちは自分次第。自分で意識的に、自分を幸せで満たす事が、人生を幸せにする事じゃないかと思います。

 大事なのは、客観的な現実から逃げない、という事。まずは現実があり、そこにキッチリ対処するのが大前提で、でもそれだけだと、心が現実に引っ張られて、貴重な時間を不必要に苦しさで埋める事になってしまいます。

 現実は現実。それはそれで対処する。その上で、自分の心は意識的に、幸せで満たす事が、幸せに過ごすという事だろうと、思います。

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 一つ具体的な例を書きます。

 昨晩、少し酔っぱらった夫が、勉強中の息子の部屋に入り、息子に少しからんだので、息子がとても嫌がり、「お父さん出て行って」と言ったところ、夫は部屋から出たのですが、とても不機嫌になっていました。もう全身から不機嫌オーラが出ていて、私は夫に用事があったのですが、話しかける事も出来ず。まあ明日でもいいな、と思って、私は私のすべき事を淡々とやり、息子の部屋に寄って「悪いのはお父さんだから、気にしないように。次回お父さんが邪魔しに来たら、お母さんが話してあげるから」と安心させてから、自室に引き取りました。心の隅でちょっと「悪いのは夫なのにな。自分が悪いくせに、不機嫌になって周囲に当たるのは迷惑だな」と思ったのですが、すぐに切り替え「夫がどうあろうと私には関係ない。私の人生に、夫のことを持ってくるのは止めよう」と割り切り、その事を全部忘れて、楽しく読書して寝ました。

 今朝、夫は、何事もなかったように機嫌よく過ごし、昼は息子とどこかに食事に出かけました。

 今はとても幸せな気持ちで、このブログを書いています。家中を吹き抜ける風が気持ちいいです。書き終わったら、お散歩に行きます。

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