ゲッターズ飯田さんのブログを読んでいたら、こんな記述がありました。
「過去を言い訳に怠ける場所を作らない。ぬるま湯につかってはいけない。食べ物だけ与えられて閉じこもっていたら家畜と同じ。最後は食べられるだけ」
おっと。
「最後は食べられるだけ」に、ドキッとしました。
確かにそうだわ。
与えられる環境に安住していたら、家畜と同じなんだなあ。安住していてもいいけれど、それは戦略としての「安住」であるべきで、そこから抜け出す方策と努力を、常に続けていなければいけない。納得。
「最後は食べられるだけ」というのはつまり、「他人にいいように利用されるだけ」という事だと思います。自分の人生を自分で守る為には、自分で考えて自分で動いて、自分で努力し自分で責任をとっていかないといけないのだと思う。
これは、利己的になるべき、という意味ではなく、他者の中にどう自分の価値を作っていくか、という事だと思う。だからむしろ、できうるならば、利他的になるべきなのだろう。それだけの余力がないのであれば、ただ感謝するだけもでもいい。
ゲッターズさんのブログの続き。
「何もできなくても笑顔と感謝の気持ちを伝えることはできる。そこから初めるだけでも人生は変り始める。今やれることを少しでもいいのでやり続ける人に、運は必ず味方する」
共感、納得です。そうありたいです。