書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害児(者)が、必要な配慮や支援を得る為のヒント

 今日は、かなり書きにくい事を書こうと思っています。でも、新学期で、必要な方もおられるかもしれないと思い、書きます。不快な思いをされる方がおられたら、申し訳ありません。お一人お一人の事情を知らない上で、勝手な事を書かせて頂きますので、ご自身の事情には合わないとお思いの方は、どうぞお読みにならないで下さい。

 

 最近、はてな発達障害育児関連のブログを良く読ませて頂くようになり、いつも感じる事なのですが。

 私が見つけられないからかもしれないのですが、発達障害児育児について、ブログを書いておられる方というのは、お子様が発達障害だという事を、「中学以降に分かった」という方が、圧倒的に多いのです。

 2~3歳で発達障害を疑い、病院に連れて行き、療育を受けさせてきて、今大学生である社会人である、というパターンのブログは、親目線であれ、子供本人目線であれ、少数派です(中度重度の障害児の場合は別ですが、グレーから軽度の発達障害児について書いています)。

 中学以降に障害が判明した、という事は、生まれてから12歳まで、間違った育児をしてしまっていた(されていた)という事、また、必要な支援や配慮や療育を、受けさせてあげなかった(受けてこなかった)という事で、当然、中学以降に問題が噴出し、見過ごせなくなって病院に連れて行き、障害が判明する、と言う流れです。そういう方が、ブログを書かれているケースが、とても多いなあと思います。

 ブログを書くのは、自分と同じ過ちを、他の方にはしないで欲しい、という思いからだと思うし、書く事で整理されていく思い癒されていく思いもあるから、書く事が間違っているとは全く思わないし、どんどん書かれたら良いと思います。

 ただ、私が違和感を感じるのは、「書く事」ではなく、「書かれない部分」についてなのです。

 「中学以降まで、発達障害を疑わなかった、その理由」です。

 これだけ沢山の発達障害育児のブログがあるのに、「中学以降まで子供は健常児だと思い込んでいた」その理由を、きっちり書いておられるブログは、あまりありません。

 でも、本当は、そこが一番大事なんじゃないかなと私は思います。

 発達障害児(者)が生きていくには、周囲の方々からの、沢山の配慮や支援を必要とします。周囲の方々に、沢山の忍耐や我慢を強います。

 配慮してもらって当たり前、支援してもらって当たり前、忍耐してもらって当たり前、我慢してもらって当たり前、発達障害児(者)側が自らの障害をたてにとって、そういう意識でいては、うまく生きてはいけません。

 私は別に、平身低頭で、周囲に謝りまくり、遠慮しまくり、小さくなって生きていくべきだとは、思いません。私の息子も発達障害児ですが、胸をはって生きていけるよう、息子の優れた面をうまく活かして自立できるよう、精一杯力を尽くしています。 

 

 発達障害は、生まれながらの障害です。中学以降に障害になるわけではありません。本来は、0歳から、その兆候は出ています。単なる発達の遅さだけでなく、「育てにくい」「難しい子」「いつもしんどそう」「いつも緊張している」「繊細」「こだわりが強い」等々、なんらかの特徴が、0歳から見られます。2~3歳にもなれば、かなり分かります。それを、中学以降まで放置していた、という事実について、その理由について、きちんと向き合わない理由は何なのでしょうか。

 その理由は、お一人お一人で異なるとは思いますが、おそらく「子供の人生は、子供自身に責任がある」というお考えが、根本にあるからではないかと思います。

 子供が困っていても、しんどそうでも、それを克服するのは子供自身であり、親が助けるべきではない、というお考えが、根本にあるからだと思います。そうでなければ、もっと早く手を差し伸べたはずだからです。

 でも。発達障害は障害である以上、彼等は周囲の協力無しには生きていけません。子供であれば尚更ですが、大人になっても一生、周囲からの協力を必要とします。障害故の沢山の困りごとを、「本人の責任。結局は本人が気づかないと克服できない」として放置してしまうと、彼等は永遠にその困りごとを解決できず、苦しみの中で生きていかざるを得ません。

 お子様が発達障害である方の場合。

 どうやったら、周囲の配慮を得られるのか。

 逆に言えば、何故、今現在、周囲の配慮を得る事ができないのか。

 それは、そのまま、ご自身が「何故、長い間、お子様に配慮してこなかったのか」という理由と、全く同じだと思います。

 結局は、「他人ごと」だからです。困っているのは子供(または他人)であり、自分ではないから、助けない、むしろ助けるべきではない。何故なら、その子の人生はその子の責任であり、問題克服はその子自身がすべきことだから、と、お考えになったからではないでしょうか。

 

 であれば。

 かつてのご自身に対して、「この子には配慮が必要なのです。助けてあげて」と説得するつもりで、今現在のお子様の周囲の方に、説明していけばよいと思うのです。

 かつてのご自身なら、どういう風に説明されたら、お子様に配慮や支援が必要であると納得できたか。配慮や支援は、自分にとって負担が大きく精神的にもキツい事ですが、それだけの負担を超えても、やってあげるべきだと、どういう説明をされたら、思えたか。

 それが、今後、お子様が周囲からの支援に恵まれて生きていく、ヒントになると私は思います。

 新学期で、学校に対して、お子様に配慮をお願いする必要を感じておられる親御さんも、おられると思います。ご自身なら、どういう風に説明されたら納得できたか、支援しようと思えたか、思いを巡らせてみられるのも、良いかもしれません。

 この記事に関して不快な思いをされた方がおられましたら、申し訳ありません。お一人お一人の事情を知らない上で、勝手な事を書いております。お子様に診断をつけなかったのには、様々なご事情がおありだろうと思います。ご事情故であった方には、ここに私が書いた事は全く不適切かつ不要でありますので、どうぞ読み流して下さい。

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