書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

知識を使って人を批判しない

 今日は、自分自身への戒めの気持ちを込めて書きます。

 何度も繰り返し書いているのですが、私の悪癖の一つに、「人を批判したくなる」というのがあります。誰でもかれでも、いつでもどこでも、というわけではないのですが、「明らかに矛盾している間違っている事を他人に勧めている人」を見ると、「それは違うのでは?」と言いたくなるのです。

 理屈では分かっています。私が指摘したところで、相手は持論を変える筈はないという事を。また、もし相手が本当に間違っているのであれば、「間違いを他人に勧めた」という過ちを犯している事になるので、いずれペナルティーが必ず下されるか、もうそのレベルを超えてしまっているなら、ひたすら霊格が落ちて行くか、のどちらかなので、私が口出しする必要は全く無い、わけです。

 分かっているのですが、でも「言いたい」気持ちが時々湧いてきて、「あああ」と我ながら悲しくなります。絶対に言いませんが、でも言いたい気持ちが湧いてくる事自体が、自分で情けないのです。

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 すみません。ここでちょっと話が変わります。

 私は、本物の霊能者の方を個人的に知っております。その方(以下Aさん)が何故本物か分かるのかというと、Aさんは、先の事を見る事ができるからです。私は何度も先の事を教えて頂きました。例えば、実家のまとまった土地を売ろうとしていた時、Aさんから「今はまだ売ってはいけない。持っていなさい」と連絡が入りました。それで売るのを止めたら、すぐにある大企業から土地を貸して欲しいと連絡が入り、毎月相当な賃料で半永久的にその企業に土地を使ってもらえる事になりました。先祖から受け継いだ土地を売る事なく子孫にそのまま残せて、更に少なくない賃料まで毎月入ってくるという非常に有難い状況になったわけです。相手は大企業なので潰れる心配もないですし。本当に、売る寸前まで行っていたので、Aさんにそれを止めて頂けて有難かったのです。Aさん以外にそういう事が言える人を、私は知りません。だって、もしその予言(?)が外れたら、相手にとんでもない額の損失を与えるわけです。普通なら言えません。でも、Aさんは確信を持って予言されるのです。

 Aさんがどうやって予言されているのか聞いてみた事があるのですが、祈祷して神様に尋ねるのだそうです。そしたら、神様が「教えても構わない。或いは、教えたほうがいい」と思う事は、教えて下さるのだそうです。なので、Aさんに尋ねても、教えてもらえない事もあります。神様が「教えるべきではない」と判断されたからだと思われます。

 私個人のことで言えば、息子を妊娠した初期の初期、まだどういう試薬でも妊娠が判定できない時期に、Aさんから電話があり「妊娠しているから生活に気を付けるように」と言われました。私は息子の前に一度流産しており、また、確かに息子の妊娠中も、早産しかかり順調ではありませんでした。それがAさんには分かったようです。それで、注意するようにと教えてくれました。「妊娠している」を私に言っておいて、私が妊娠していなかったら大恥だと思うのですが、こういう事が沢山あるので、だからAさんは本物の霊能者なのだなあと思うわけです。

 で、Aさんと、私が大好きな桜井識子さんが、基本的に同じ事を仰っておられるので、私は桜井さんも本物なのだと思うわけです。

 Aさんと桜井さんの違いと言えば、Aさんは本を書いておられないし、基本的には辺鄙な田舎で朝から晩まで祈祷されており、あまり他人と関わりを持たれない(わざわざ訪ねに行った人にだけは会うけれど)という事です。一方、桜井さんは、沢山本を書かれ、普通の一般社会で、普通に生活されていて、ブログも書かれ、沢山の神仏のお話を私達に日々教えて下さっています。また、沢山の神社仏閣に出かけられ、その様子も教えて下さっています。Aさんは、ある一つの神社のある人柱の神様だけを信仰されているようです(他の神様を否定しているわけではなく、常時繋がれるのがその神様だという事のようです)。

 一言で「霊能者」と言っても、様々な違いがあるのだなあと思います。で、そういう違いは、それはそれで良いわけです。Aさんのような方も人を助けておられるし、勿論桜井さんも大変な人助けをされておられます。

 話がめちゃくちゃ長くなりましたが、何が言いたかったかというと。

 私はAさんや桜井さんの御著書などで、少ないながら神仏関係の知識を、得る事ができています。有難い事です。

 でもこの「知識」というのが厄介でして。

 知らなければいいのですが、下手に知っているだけに、神仏関係のことで間違った事を言っている人がいると、「あ、間違っている」と気づいてしまうのです。

 で、不思議なもので、神仏関係の人(や心理関係の人)は、何故か必ずご自身の知識を、他人に「教えて勧める」のです。良い事だから教えたい勧めたい、というお気持ちからだと思うのですが、正しい事ならいいのですが、間違った事を堂々と他人に勧めておられるのを見ると、「あ~、間違ってるのに~」と、人間のできていない私は思ってしまうのです。

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 で、最初に戻るのですが。特に神仏関係で間違った事を人に勧めている人を見ると、心の中で「間違っていると指摘したい」欲が、ふつふつと湧いてくるのです。

 これを、本当になんとかしたい。

 どうしたらなくせるか、と思って考えに考えたのですが、こういう風に思えばいいか、という結論が出たので書いておきます。

 つまり。Aさんや桜井さんが、神仏関係のことを教えて下さるのは、その知識を使って私(達)がよりよく生きれるように、楽しく安心して生きれるように、と思っての事です。

 彼等は、私が、彼等の教えてくれた知識を使って、他人を批判する為に、それを教えてくれるわけでは、決してないわけです。

 せっかく彼等が、良い事を教えてくれているのに、それを「他人を批判する」という方法で悪用して、いいわけがありません。

 何のために、Aさんや桜井さんが、神仏関係の事を教えてくれるのか、その根本に意識を向けたら、それを使って他人を批判する事の「悪」に、気づかずにはいられません。

 自分の知識を使って、他人を批判する事は「悪」である、と、常に自分に言い聞かせたいと思います。長々と書いてきたわりに、結論がアッサリですみません。。

 

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