書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

明石市市長の件に思う

 明石市泉房穂元市長が、部下に暴言を吐いたニュースがテレビで流れたのを、たまたま夫婦で見ました。夫は「この人、別に何も悪くないやん。働かへん、部下が悪いんや」と言いました。

 まあ、モラハラパワハラすれすれの夫ですから、そういう意見になるわな、と思いつつ、一応聞いてみました。

「えっと。『家に火をつけろ』発言もOKなわけ?」

 夫は当然のように「ええんちゃうの。そのぐらい、普通、言うよ。上司は悪くない。悪いのは働かへん部下のほう」と答えました。

 ああそうですか。夫の働く環境では、そのぐらいの暴言は、日常的に飛び交っているようです。なので夫はもう、暴言には不感症になっているもよう。口論しても無駄なので、夫と話すのはそこで止めました。

 そして、続きをこのブログに書いているわけです。一気に書いて見直しする時間もないと思うので、読みにくい点多々あることを、先にお詫びしておきます。

 

 私はこの件について、二つの事を感じました。一つは、土地の立ち退き問題の難しさについて。もう1つは、「自分の思う結果を相手が出せない時は暴力暴言で相手を叩きのめす事で結果を出させる事が可能である」と思いこんでいる人の存在ついて。

 まず、土地の立ち退き問題の難しさ、ですが。

 私の母の実家も、国道が通るという事で、広い庭の半分を行政に渡しました。ウチの場合は、すでに誰も住んでいない家なので庭が半分になっても別に構わなかったのですが、住んでいる家なら、抵抗を感じたと思います。たとえ迷惑料的なものをもらったとしても。市の発展の為、みんなの便利さの為に、自分を犠牲にして立ち退くという事に、快く協力できる人ばかりではありません。

 少し前の例ですが大阪梅田の地下街をリニューアルする時、御堂筋線横の階段脇の「串カツ屋さん」が、最後まで立ち退かなかったのを思い出します。とても人気の古くからある串カツ屋さんで、立ち食いのお店なのですが、いつもお客で一杯でした。朝から良い串カツの匂いが漂っていて、梅田地下街の風物詩のような店でもあったのです。だから、立ち退く事に最後まで抵抗したのだと思います。

 行政がいくら説得してもらちがあかないという事で、最後は裁判になり、大阪市が勝って、串カツ屋さんは店の場所を移しました。

 立ち退き問題はとても難しいので、行政の力だけではどうしようもなくなったら、最後は司法に持ち込むしかないと思います。行政には、「立ち退いてもらう強制力」は無いからです。

 それを、明石元市長は知っていて、それでも、立ち退き交渉がうまく進まない事を、部下の怠慢のせいだと決めつけられたわけです。

 そんなに言うなら、明石元市長自らが、立ち退かせればいいのに、と私は思いました。できるものなら、やってみなさいな、と。

 それぐらい、立ち退き交渉というのは、難しいのです。やる気があればできる、というような簡単なものではないです。行政に強制力はないのですから。最後は司法で決着をつける、という方針を打ち出さない限り、先には進まないと思います。

 それを、明石元市長は、部下のやる気に全て押し付けた。

 やる気さえあれば交渉は成立する、という間違った考えを持った。何故彼がそう考えたかといえば、そう考えることが彼にとって、一番ラクだからです。

 部下の人は、怠慢だったのかもしれないし、無能だったのかもしれないけれど、その業務に、その部下を配置した最終責任は明石元市長にあるわけですから、部下が職務を遂行できない咎は、最終的には明石元市長にあると思います。その部下の人は、立ち退き業務を遂行するには、不適任だったのです。不適切な人事配置を行った明石元市長にこそ、責任があると私は思います。

 続きまして、もう1つの「自分の思う結果を相手が出せない時は暴力暴言で相手を叩きのめす事で結果を出させる事が可能である」という考え方について、書きます。

 こういう風に考えている人、多いです。本当によく見聞きします。虐待親しかり。スポーツ業界しかり。企業しかり。行政しかり。家庭内暴力しかり。ええ、ありとあらゆる場所で、この考え方は存在します。

 こういうものの考え方をする人というのは、自分の思う結果を相手が出せない時、「相手が怠慢である」とまず考えます。そして、相手のその怠慢さを治す為には暴力暴言で脅しつけるのが一番てっとり早く効果的だと考えます。

 だから、「立ち退かない家には火をつけろ。お前が犯罪者になれ」発言にもなるわけです。

 自分の思う結果を相手が出せない時、自分が思う結果というのはそもそも非現実的なのではないか、という事に思いを至らせる必要があります。本当にそれは実現可能なことなのかどうか、と。

 でも、パワハラを行う人は、そういう風には考えたがりません。自分の思う結果を諦めるのが嫌だからです。何が何でも、自分の思い通りにしたいからです。そして、そういう自分を、英雄視しています。結果を出せる自分に酔っています。

 明石元市長の記者会見を見ましたが、「自分は正義を通したかったのだ」と言い、結果が出せなかった悔しさで涙を浮かべておられました。ご自身に酔っておられて、見ていて不快でした。

 あなたの正義って何ですか?

 確かに、交通事故を防ぎ、人命を救う為には、道を整備する事は必要だったでしょう。だからといって、一個人である部下を罵倒する権利は、あなたにはなかったと私は思います。

 どうしても立ち退きを実現したかったのなら、泣くほど正義を通したかったのなら、市長あなた自身が現場に行って、交渉をし、立ち退きを成功させたらよかったのではないでしょうか。立ち退き交渉実現が、人間にできる事だと本当に思うのなら、ご自身でやってみられたら良かったのではないですか。

 

 もし、今の世界が暴言暴力で作り上げた世界であるなら、私は今の世界の恩恵に預かりたくないです。

 世の中を住みやすくする為に、それを実現する為に、影でパワハラを受けて苦しむ犠牲者が存在するなら、世の中を住みやすくする行為は、正義ではないと私は思います。