書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「やりたい事」と「出来る事」

 先日、テレビに林修先生が出ておられました。 その番組では、高学歴(東大、慶応、早稲田卒など)なのに働いていない30代前後の男性(以下ニート男性と書きます)を前に、林先生が授業をされていました。授業というか、討論会のような感じでした。印象的だった所を書いてみます。記憶で書いているので、細かい言い回しとかは違っているかもしれません。すみません、、。

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ニート男性A「僕は、やりたい事がないので、働いていません。やりたい事があれば働きます」

林先生「これは僕の個人的な見解ですが、職業選択について、その選択基準は二種類あると思っています。「やりたいか、やりたくないか」「出来るか、出来ないか」です(と言って林先生は以下の図を板書)

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 この中で、職業選択の基準に「やりたいか、やりたくないか」を持ってくる人はいますか?手を挙げて下さい。

(全員、手を挙げた)

 あ、全員ですね。みなさんそうなんですね。みなさんはジョブズ型ですね。ジョブズは「やりたい仕事しかしない」と言っています。それは1つの生き方です。

 でも僕は、「できるか、できないか」を軸に仕事を考えています。僕の言う「できる」は、自分が勝手にそう思っているものではなく、世間の周囲の人達が「林はこれが出来る」と判断し認めてくれるものを言います。

  塾講師も、別にやりたい事じゃないし、こういうテレビでの仕事もやりたい事ではありません。でも僕は、教える仕事や説明する仕事が出来るので、やっています。

 僕は、大学卒業後、やりたかった投資の仕事をする為に、銀行に就職しました。3年やりましたが莫大な借金を作り、これ以上続けると一生かかっても借金が返せないと判断して銀行を辞めました。投資の仕事は、やりたい仕事でしたが、僕には出来ない仕事だと分かりました。

 僕は大学時代、塾講師のアルバイトをしていました。自分の担当している所だけでなく、臨時でピンチヒッターで行く所でも、一度教えただけで必ず「次回も来てくれ」と言われました。教える仕事は好きではなかったですが、僕に出来る仕事だったのです。テレビの仕事も同じです。お話があって、やらせてもらっていますが、別に好きではありません。それでも僕に出来る仕事なようで、評判はいいし視聴率もいいですね。

 もちろん僕も、やりたい、且つ、出来る事(①)を仕事にできれば一番いいと思います。また、皆さんのように、やりたいかやりたくないかで、仕事を選ぶ事も、間違っているとは思いません。ただ、僕自身は、銀行を辞めて以来、出来るか出来ないかで仕事を選んでずっと働いて来ましたが、仕事においてしんどい思いをした事はないです。ずっと順調です」

ニート男性B「林先生は、今、ここで僕達に喋っている、この仕事もやりたくなかったのですか?」

林先生「そうですよ。やりたくないですよ。テレビの人に頼まれたからやってるだけですよ。ただ、この仕事を作り上げるのに、テレビの人達はものすごく苦労して準備していますからね。それはそれは沢山の人が考えて時間をかけて準備してくれているから。やる以上は、いい結果を出したいと思いますよ。僕は、仕事の一つの喜びとして、達成感というのがあると思っていて、やりたくない仕事でも、達成できれば嬉しい。僕の番組は視聴率がとてもいいから、達成感はとてもあります。それが仕事のモチベーションになりますね」

ニート男性B「勝ち負けをやりがいにするのは、どうなんでしょうか。空しくないですか」

林先生「日本は、資本主義システムです。資本主義というのは、根本的に競争原理。資本主義の国で生きている以上、競争を避けては通れませんよ」

ニート男性B「先生が、今、本当にやりたい仕事って何ですか?」

林先生「今じゃないけど、昔から、本は書きたかった。僕がまだ今ほど売れていなくて、テレビに出始めの頃、あるフリーの編集者から、自己啓発の本を書いて欲しいと頼まれた。僕は、自己啓発には何の興味もないし、読んだ事も一度もないけれど、その人が僕にそれを書いて欲しいという事は、その人から見たら、僕は自己啓発本が書ける人間に見えるんだな、と思って、書く事にした。で、計4冊書いて、100万部売れた。そのフリーの編集者は、僕を見つけたという先見の明を買われて、大手出版社の正社員になれた。自己啓発の本を書くことは全然楽しくなかったけれど、その人が正社員になれたから、書いて良かったなと思ったよ。

 で、僕がテレビですごく売れてから、僕が本当に書きたい本を書いて出版したんだけれど、全く売れなかった。僕が書いた本で重版がかからなかったのは、その本だけだ。僕が本当に書きたくて書いた本だけが、全く売れなかった」

ニート男性C「先生は、書きたい本を、一冊書いて止めてしまったんですか?リベンジしようとは思わなかったんですか?」

林先生「社会っていうのはね、厳しいんだよ。僕は、売れない本を出して、出版社に迷惑をかけてしまった。2度目のチャンスはないよ」

(話題変わる)

ニート男性E「僕は、みんなが「やりたい事」だけをやればいいと思っています。掃除が好きな人は掃除すればいいし、売る事が好きな人は販売をすればいいし、みんなが自分のやりたい事をやればいいんじゃないかと思うんですが」

林先生「みんなが「やりたい事」だけをやったら、どうしても、人的不足が生じる分野が出てくるんだよ。この社会を維持するのは、みんながやりたい事だけやるというやり方では、無理なんだ。例えば、ゴミ収集の仕事1つとっても、全国津々浦々、定期的にゴミ収集車が回って来てくれるけれど、あの仕事をしてくれている人の中で、「やりたくてやっている」人がどれだけいるだろうか。やりたくてやっている人だけになれば、ゴミ収集車が行かない地域が大量に出てくるよ。そこらじゅうにゴミが溢れるよ。これはゴミ収集だけじゃなくて、道もなくてもいい、警察もいらない、救急車も呼べない、何にもいらない、というならいいけれど、最低限の社会生活を維持したいというのなら、みんながやりたい事だけやればいい、という考えでは無理だ。どうしたって、人的不足分野が出て来て社会は維持できなくなる」

(話題は変わる)

ニート男性F「僕は、日本のルールが気に入らないんです。自分が納得できないルールに参加したくないから、ニートです」

林先生「でも君は、その日本で生活しているわけですね。日本という国が君に無料で与えてくれる公共サービスを使っているわけですね。もしルールに不満があるなら、君に出来る事は2つです。1つは、この国からサッサと出て行く事。もう1つは、この国のルールを君の手で変える事です」

ニート男性F「いやいや(苦笑)。僕は、日本国に対してどうこうして欲しいとかないんです。僕は今、作りたい服を作ったりしてますけど、お金にはならないので親のスネかじりです。でも、親がそれを許してくれているので、このままで別にいいんですよ。別に日本のルールにも変わってもらわなくていいし。ただ僕がそこに参加しないというだけです」

林先生「僕は、親のスネをかじる事は別に構わないと思っています。

 でも、成人で、仕事をせず社会に税金を納めないで、社会から公共サービスだけを受け取る状態の人を、フリーライダーと呼びます。税金は納めず、公共の道を歩き、公共の施設を使い、公共のサービスを受け取っている。フリーライダーが、社会のほんの一部であればいいですが、ほとんどの人がフリーライダーになってしまったら、社会は破綻します。

 皆さんは、日本のルールが気に入らないから、又、やりたい仕事がないから、社会に参加せず、最低限の生活に甘んじている。嫌な事をやるよりもこれでいい、という生き方です。僕は基本的には、人に迷惑をかけないならどういう生き方をしてもいいと思っています。でも、皆さんのような人が少数派ならいいですが、多数派になれば、社会は破綻しますね。

 もう1つ、別の角度からお話します。『やりたい事』というのは、偶然性が大きいんです。やりたい事が頭に浮かぶその原料となるのは、情報です。どんな情報に触れるかは、偶然なんです。アイヌの長老にインタビューした記事を読んだんですが、「あなたが一番やりたい事は何ですか?」と聞かれて、長老が何と答えたと思いますか?」

ニート男性F「暖かい南に移住したい、とかですか?」

林先生「長老は『素手で熊を仕留めたい』と答えたんです。彼の生活、彼の耳に入って来る情報、の中では、それが彼にとって一番やりたい事なんです。やりたい事を考える時、私達は、あくまでも、自分の目に入るものの中から、そういう限られたものの中から、やりたい事を選んでいるのです。何が目に入るのか、それは偶然です。

 でも、一方、「出来る事」というのは、必然です。その人の持って生まれたものなのです。また、その人が努力して手に入れたものです。いずれにしてもそこに偶然性はありません。

 Fさんが、今、服作り以外やりたい事がない、というのは、事実そうなのでしょうが、それはFさんの目に入る情報の中で、服作りが一番、という事であって、限りなく広い情報の中で選んだわけではない。お金にならない服作りしか見ないというのは、一度しかない自分の人生を、偶然に任せて生きている事になり、僕なんかからしたら、もったいないなと思います」 

(話題は変わる)

ニート男性G「先生が思う、仕事の出来る人とは、どんな人ですか?」

林先生「仕事というのは、突き詰めてみれば、「解決」と「創造」の二つです。両方優れている人は滅多にいません。どちらかが優れていれば、それで十分仕事が出来る人と言えると思います。前澤社長だと、アパレル不況の中で服を売る方法を考え出したり(解決能力)、その仕組みを考え出したり(創造)する力が優れていたから、成功したわけです」

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 林先生と、ニート男性達の会話、まだまだありました。終わった後、ニート男性達が「考え方が変わった。参加して良かった」と口ぐちに言っていたのが印象的でした。その後、ニートを辞め就職した人もいたそうです。

 私も、息子の職業を考えるにおいて、この林先生のお話は参考になりました。

 息子の職業については、中学の頃に徹底的に家族で考えて、以下のように一応決めました。

 息子が一番やりたがった仕事は、地図に関する仕事なのです。息子は地図が大好きなのです。地図をパッと見れば大抵の地名は一瞬で覚えてしまう。道を歩けば、通りの両側の建物はどんどん覚えてしまう。一度歩けば、次に歩いた時に、前回との違いにことごとく気づく。そしてそういう事の全てが息子には楽しいのです(だから小さい頃から散歩が好きだったのです)。でも、色々調べてみましたが、地図を仕事にするには、一般企業に就職し会社員になるしかなく、それはコミュ力の低い息子には向いていません。一時は、グーグルや、ナビの会社に就職する事を考えたのですが(他にも会社ありますが、分かりやすく書きました)、やはり無理だろうということになり、それで地図系(社会系)の大学に進む事は辞めました。

 一方、息子の得意な分野は理数系なのです。特に好きというわけではないのですが、困る事なく出来る分野です。地理のほうが遥かに得意ですが、理数系の仕事の中には、会社員にならなくても出来るものがいくつかあります。それで、理数系に進む事にし、仕事もそちらで考える事にしました。正しい判断かどうか分からないまま、取捨選択した結果です。不安なままでこの方向で進めていますが、林先生のお話を聞いて、これで良かったのかもしれない、と思えました。