書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

安全圏で生きてきた

 おはようございます。月曜日ですね。

 月曜日は、なかなか調子が出ません。専業主婦なので、土日「家族モード」になっていたのを、「一人モード」に切り替えるのですが、その切り替えがパッと出来ない感じ。一人の時間がなかなか満ちてこないというか。いつも調子を戻すのに、丸一日かかります。これ、ほんとうになんとかならないのかしら。

 私の場合、朝、もう1つ調子が乗らない原因として、洗濯物の処理もあげられます。

 家族の朝食の準備とか後片付け、家の掃除などは別にちゃちゃっとやれるのですが、洗った洗濯物を干すのに手間取ります。なんだか毎朝、とってもウンザリしてしまうのです。特に冬場は洗濯物の嵩も多いし、重いし、干して干しても終わらない無間地獄。今日の分を干し終わっても、また明日同じ分量干さないといけないのだ、とか考えてしまうともう、、、。

 洗濯物の処理さえなければ、朝はもっと調子よく流れていく気がするのですが。洗濯物を前に、うんざりして動きが止まってしまい、自分でもこの時間は一体何なのだ?と思いながらも体が動かないというか。

 朝、起きた時は、「いい朝!」と元気なのですが、洗濯物を洗濯機から出した瞬間に、重さと煩雑さとキリの無さに、活力が消えていくのを感じます。

 以前は洗濯物を干すの、大好きだったのですが、いつの間にか、一番嫌いな家事になってしまいました。子供が小さかった頃は、子供服って小さくてかわいいので、洗って干すのも楽しかったのです。でも今は、子供も大きくなって服も無味乾燥な大きいだけのものになってしまって、夫の服と合わさって、干す楽しみが全くなくなってしまったのだと思います。ただただ機械的に干すだけで。しんどいだけで。

 洗濯物、朝干すの止めようかなあ。朝の気持ちのいいスタートを、阻害される気がしてなりません。夜干そうかなあ。一回、サイクルを変えてみようかなと思います。

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 さて、話は全く変わるのですが、気づいたらもう52歳。ずっと安全圏で生きてきたなあと思います。

 危ない橋は渡らない、というのではなく。自分にとって絶対的に必要なものを、最優先で見つけて手に入れてキープする事を、やってきたなと。

 そうやって、自分の人生の安全を確保しておいた上で、けっこう危ない橋を渡ってもきたのですが、何よりも生活の安全が確保されていたので、グラつかず転ばず、無事にこの年齢まで来ました。

 絶対的に必要なものと言えば、経済的安定、健康、愛情、で、私はこの3つを、20代前半で、パッパと確保しました。つまりは夫を見つけて結婚したと。あれこれ不満を書いてきた夫ですが、それでも、私にしてはうまく見つけたものと思っています。彼のおかげで安楽な生活ができ、何より彼は私のことが好きなので。まあこれは、一緒に暮らしていたら分かるのです。息子も私の事が好きなので、好かれている人達と一緒に暮らすというのは、心が落ち着きます。不安が無い。

 健康に関して言えば、壊しかけた事は何回かあるのですが、その都度なんとか踏みとどまり、今は自分なりの体のメンテナンスを構築したので、無事に生きております。

 安全圏を確保しておかないと、生活を楽しめない性分です。

 なので、安全を脅かすような事があると、できるだけ解決しようと動きます。例えば、息子が何か学校で困っていたら、私に出来る限り助けます。具体的にすぐ動きます。

 私とは違うタイプの方で、子供が「しんどい。困っている」と言ってきたら、「そうなの。しんどいの。大変だね」と受け止めるだけ、という方がおられます。ただ子供の気持ちを受け止めるだけで、具体的に子供を助ける方向には動かないのだそうです。

 この前、そういう方で、極端な意見を見ました。お子さんが学校で困っている事があって、不登校気味で「しんどい」と言ってくるのだそうで、お母さんは「そうなの、しんどいの」と受け止めていると。で、お子さんが「死にたい」と言って来たら、「死んでもいいよ」と言ってあげると。

 ふ~ん。そうか。

 私なら、まず、子供が何に困っているのか知って、解決に動くと思います。苛められているなら、最悪転校も視野に入れると思います。子供は「死にたい」とまで言う可能性があるのなら、そこまで追い詰められているなら、なりふり構わず、やれる事は全てやると思います。

 そうやって、親として出来る限り手を尽くしても、それでも子供が「死にたい」と言ってきたら、「じゃあ、一緒に死のう」と言うと思います。子供一人を死なせる事は絶対にないです。

 分かりにくい説明ですません。

 私が言いたかったのは、「安全圏を確保する」という事は、受け身ではない、という事です。むしろ、ものすごく能動的に動き回らないと、安全は確保できないと思っています。受け身でじっとしていたら、ただ沈むだけだと思うのです。

 子供に「しんどい」と言われて「そうなのね、しんどいのね」と受け止める。「死にたい」と言われて「死んでもいいよ」と返す。それで子供は安心するのだろうか。安全圏を感じてくれるのだろうか。自分の気持ちを受け止めてもらったから安心、という風にはいかないのではないか、と私は思います。「自分は安全圏にいる」と実感できないと、子供は冒険できません。伸びていけないと思います。子供の意識の全てが、安全を確保することだけに費やされてしまうからです。

 いつ、何を、どう動くのか、は都度都度考えて、必要な事、やるべき事を、どんどんやっていく、そうしないと安全圏は確保できないと思っています。やみくもに動けばいいのではなく。下手に動けば、せっかくの安全を損なう事態にもなりかねませんから。よく考えて、必要なことをやっていく、動き続けていく。

 その為には、朝から洗濯物でウンザリしているわけにはいきません。あー、洗濯物のこと、なんとか考えよう。夜にしようかな。 

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