書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

連帯責任と、アクティブラーニングの共通点

 子供を学校に通わせていて、これはどう考えてもおかしいな、と思う学校教育の二大巨頭が「連帯責任」と、「アクティブラーニング」です。

 アクティブラーニングについては、前記事に書いたので、今日は「連帯責任」について書きます。

 学校における「連帯責任」教育というのは、一人が違反すれば(或いは、一人でも出来ない生徒がいれば)、クラス全員(もしくはその集団全員)に罰を与える、というもの。

 例えば、時間厳守の集会で、一人でも遅れてくる生徒がいれば、その生徒のクラス全員が罰則を受ける、とか。体育の授業で、一人でも課題(逆立ちとか、行進とか)が出来ない生徒がいれば、その生徒が出来るようになるまで、そのクラス全員が家に帰れない、とか。

 連帯責任って、要するに、江戸時代の五人組制度の事ですよね。

以下少しネットから拾って来ました↓

1597年(慶長2年)豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・農民に五人組を組織させた。江戸幕府キリシタン禁制や浪人取締りのために秀吉の制度を継承し、さらに一般的な統治の末端組織として運用した。これは連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、領主はこの組織を利用して治安維持・村(町)の中の争議の解決・年貢の確保・法令の伝達周知の徹底をはかった。五人組制度が存在することによって、間接的に名主・庄屋の権威を裏付け、住民の生活を制約すると同時に町村の自治とりまとめを強化することには役立った。近代的自治法の整備とともに五人組は法制的には消滅したが、第二次世界大戦中の隣組にその性格は受け継がれていた。

 

 要するに、連帯責任制度(五人組)って、お役人が苦労なく下々の者どもを統治する為に作ったシステムの事だと思います。違反者、落ちこぼれ者が恨まれ、お役人は涼しい顔して統治できるシステム。近代になって法的には消滅したわけですが、戦時中にも採用されたし、何よりも、現在の学校制度で、現役の教育方法として、しっかり生き続けているわけです。 

 連帯責任を学校教育に採用するメリットって、お役人側である教師が、生徒から恨まれることなくラクして生徒を統治できるという事に尽きると私は思います。

 デメリットは、当然、生徒側に沢山あります。連帯責任では、問題の原因究明は行われないという事。そして、問題を解決することは生徒個人の努力にだけに負わされる、という事です。教師は指示するだけ、罰則を与えるだけで、一番すべき「教育」をしていない。教えても育ててもいない。

 そういう意味では、連帯責任教育なんて、教育じゃない。頭のいい秀吉が、全国統一を実現する為に考え出した統治制度です(厳密には秀吉以前からありましたが)。

 連帯責任とは、統治制度なのです。

 生徒は子供で、出来ない事があって当然なのに、例えば、自分が逆立ちが出来ないばかりに、クラス全員を居残りさせているという重圧に耐えなけばいけない。重圧を与えられたら逆立ちができるようになるわけじゃないのに。

 おかしいですよね。

 連帯責任制度というのは、戦国時代や戦時中という、人が人を殺す事が正義とされていた狂った時代に、心あるからこそ悩み苦んでいた人達を、問答無用で力で抑え込みながらも、統治者自身は自らの手を一切汚さずすませる為に編み出した、とことん卑しい統治手法だと私は思います。

 これが、平和と言われている現代の、子供を育てる学校で、連綿と採用され続けているという現実に、驚きと恐怖と違和感を、私は感じずにはいられません。

 タイトルについて触れておきますと、連帯責任とアクティブラーニングの共通点とは、一見、表面的には、「子供達の自主性を尊重している」ように見える、という事だと思います。また、これを採用すれば、「力のない教師でも教壇に立てる」という事に尽きると思います。特に、連帯責任を採用すれば、どんな教師でもクラスを統治できます。荒れた学校ならいざ知らず、普通の大人しい従順な生徒達に対して、これをやる必要があるのは、教師が力不足だから以外に、私には考えつきません。

f:id:oinor-i:20181015083524j:plain

 生徒に対して「連帯責任」を押し付けるなら、教師側もそれを甘んじて受け入れて欲しいものです。例えば、一人の教師が授業に遅刻したら(テスト問題にミスがあったら、授業を忘れていてすっぽかしたら)、その教師の所属する学年担任全員が大幅減給になればいいと思います。ちなみに教師に対しては、減給が一番効果があると思う。それも連帯責任で、自分の落ち度で仲間の教師がみんな減給されたらいいのです。その教師は、どれほど心に負担を感じるか。罪悪感と恥ずかしさ。それが自らの成長を助けるのでなく、ただいたずらに、心に傷をつけるだけだと思い知ればいいのです。

 生徒の成長に効果のある方法なら、教師の成長にも、当然効果があるはずです。教師だとて完璧ではないのですから、教師にだって連帯責任を負わせたら、教師も成長できるはず。いいことずくめのはず。なぜやらないのでしょう。生徒には厳しく、自分達には甘く、というのは、いい加減本当に止めて欲しいです。

 ちなみに、息子の学校では、教師が授業に遅刻した事も、テスト問題のミスも、授業のコマを忘れてすっぽかした事も、ありました。テスト問題のミスとか、しょちゅうです。教師側が基本的なことがちゃんと出来ていない。にも関わらず、生徒が少しでもミスしたら、問答無用で厳罰ですから、その得手勝手さにうんざりします。この間の中間テストでは、携帯を机から鞄に移し忘れていた生徒がいて、全科目0点になりました。わざとではなく、完全にうっかりだったのにも関わらず、です。決まりだからだそうです。で、教師の側はテスト問題にミス多発でもお咎めなしって、どういう事?

 まあ。学校も社会の一部であり、社会は人間が作っているのであり、人間は自己中心的で不完全な生き物である、という事なのでしょう。

 そんな中で、息子ははたして生き残っていけるのか、というか、生き残っていくことが正解なのか、ふと分からなくなってしまう今日この頃です。