書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

逃げるタイプの教師

 学校という所は、本当に特殊な場所だなと、つくづく思います。愚痴です。

 学校以外の組織というのは(例えば会社とか)、少なくとも基本的には、とても合理的な仕組みで動いている。組織の利益が最終目的で、そこに向けて動くので、利益になることが推奨され、利益に反する事は削除されていく。

 でも、学校という場所は、基本的な目的が、よく分からない場所。生徒の成長を助けるのが目的なのだろうけれど、全くそうなっていない。生徒の成長をむしろ、邪魔するような仕組みで動いているように思えてならない。どこに焦点をあてて運営されているのかが、私には全く分からないです。

 なのにも関わらず、まだまだ息子をこの学校組織という所に通わせ続けなくてはならないことに、今日あたり、本当にうんざりしています。

 ちょっと愚痴を書きますと。今の担任の先生が、最初はいい先生だと思ったのですが(クラスを静かにさせる事ができるので)、半年ほどたってみると、ああ駄目だった、と落胆しています。嫌な事、苦手な事から、逃げるタイプの人だと分かったので。口では一人前の事を仰るのですが、それを実行できないのです。理想を言うだけで。こちらは、先生が大丈夫やります、仰って下さったのでお任せしていたら(任せる以外親にできる事はないし)、全くやってくれていなかった、という事が、数々露見していまして。

 ぐったりです。できないなら、できないで、最初から学年主任に助けを求めるとかすればいいのに、できないからやらないで放置という。最悪。できないならせめて私(親)に、できないかもと言ってくれれば、私から学年主任に相談したのに。出来ますやります、と言い切っておいて、実際には何もせずに逃げてたという。

  

 要は「いいかっこしい」なのですね、きっと。苦手な事をやって失敗する所を、生徒に見られたくないので、苦手な事には手をつけないでほうったらかしにしているのです。そうやって、ほったらかしにされたことごとが、今になって数々露見して、今、大変な事になっている。

 すみませんね。具体的に書けなくて。

 でもねえ。つくづく思うのです。

 一般社会なら、逃げるタイプの人は、逃げた結果の害は当然本人に降りかかるわけで、処罰を受けたり最悪クビになったりするわけです。が、学校組織では、担任が逃げるタイプの人だと、その害は担任本人よりもむしろ、生徒に降りかかるのです。特に、弱い生徒に。ウチの息子ような。

 担任の先生が、仕事を逃げてやらなかった害が、今、息子に降りかかっていて、怒りというより、 悲しみに打ちのめされています。

 ああもう。学校って嫌だ。どれだけ本人が頑張っても、どれだけ親がサポートしても、担任が逃げるタイプの人だと、何にもならないどころか、めちゃくちゃ足をひっぱられる。子供の成長を助けるのが学校の目的なはずなのに、成長しようと頑張っている子供の足を、引っ張る事しかしてない。

 ああもう。本当に。つくづく悲しいです。

 

 逃げるタイプの人は、子供に関わる仕事に就かないで欲しい。本人が逃げたその害が、本人ではなく子供に行くから。他の仕事なら、自分の怠慢は自分で被る事になるからいいけれど、学校だけは違うから。逃げるタイプの人は、一般企業に就職して下さい。先生にはならないで。心からそう思う。

 でも。現実には。

 先生と呼ばれたがる人って、逃げるタイプが多いのかもしれない。苦しい事苦手な事に面と向かって突破していくガッツのある人は、一般企業に果敢に挑んでいくのだろうな。「子供の良さを伸ばしたい。成長を支えたい」みたいな事を言う人って、子供が子供が、って言っておけば、自分の問題は棚上げにできるから、先生という立場が居心地がいいのだろうな。

 担任の先生にどんなに落ち度があろうと、こちらは子供を人質に取られているから、何一つ指摘できない。だから、学校側が、その教師の無能さに気づく事はない。だから「先生」という立場の人は、自らの失敗を目の前に突き付けられる事はない。うまくごまかして逃げ続ける事ができる。そういう事がなんとなく分かっているから、逃げるタイプの人は、教師になりたがるんだろうなあ。

 

 まあ、ああいう先生にあたってしまったという事は、私もああいうレベルだ、という事なのだと思います。だから余計に落ち込むわけで。もっともっと精進し、もっともっと自分に厳しくならないと、ああいう輩のいない場所にはいけないんだろうな。自分の周囲にいる人を見て、自らのレベルの低さを知らされますね。

 結局は、自分が悪いんだな。私の努力不足が招いた事なんだな。自虐的になっているのではなく、そういう事なんだと思います。