書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

子育ての3要素

 前回に引き続き、子育てについて書いています。今日は二つ目のテーマについて書きます。以前から、どうにもスッキリしない事があり、そこを今日は自分なりに整理したいと思っています。

 

 子育てというのは、人間関係の一種だと私は思っています。人間関係に存在するのは、「事実」と「気持ち」の二つです。客観と主観と言ってもいいですが。

 つまり、子育てに存在するのは、「客観的事実の把握と情報提供」と、子供と母親それぞれのと「主観(気持ち)」です。

 つまり、「客観的事実の把握と情報提供」「子供の気持ち」「母親の気持ち」、この3要素が子育てを形成していると言えます。

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 子育ての目的は、子供を立派に成人させる事、だと思います。立派に成人させる、というのは曖昧な表現ですが、より具体的に言えば、幸せで自己実現が叶う人生を子供が持てるようにする、という事だと思います。

 子育ての目的がそこにある、という事を、まずは確認しておきます。もしかしたら、そうは思っていない方もおられるかもしれません。その方には、ここから先に私が書く事はズレた内容に感じられると思いますので、ここで読むのは止まられる事をお勧めいたします。

 さて、それを実現する為には、先の3要素をどうしていけばいいのか。

 答えはシンプルで、優先順位を付ければいい。1「客観的事実の把握と情報提供」、2「子供の気持ち」、3「母親の気持ち」。

 子育てにおいて、何よりも優先すべきは、客観的事実と情報提供です。子供がこう言うから、私(母親)がこう思うから、なんていうのは、二の次三の次です。まずは事実です。全てのことにおいて、事実確認・情報提供を最優先にすること。

 その次に優先すべきは、子供の気持ちです。子供の気持ちに寄り添い、共感し、協力し、助けること。

 最後に、母親の気持ちが出てきます。これはもう、子供にわざわざ言う必要はないと私は思っています。ただ、自分(母親)はどう感じたか、どう思ったか、という事を、自分なりに心の中で整理し、確認しておく事は大事かなと思います。これをないがしろにしていると、子育ては苦しくなる気がします。

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 具体的にみていきます。

 例えば「子供のことが心配で、つい叱ってしまう」という状態の時、優先順位はどうなっているか。おそらく事実確認・情報提供はされている、だからそこはOK。事実として、何か子供に困った状態が起こっているという事。もしくは、将来起こるであろうと予測されるという事。でも、「心配だから叱る」というのでは、母親の気持ちが子供の気持ちよりも優先されています。ここが間違っていると私は思います。

 では、どうしたらいいか。

 子供にまずは、客観的事実を伝える、という事は大事ですよね。でも、その後、親の気持ちを言わない、そこに親の気持ちを乗せない、という事がとてもとても大事だと私は思います。客観的事実の確認の後は、徹底的に子供の気持ちに寄り添う事、気持ちに共感し、子供の立場に立って解決方法を一緒に考え、具体的に親が助ける行動をする事、が大事だと思います。

 例えば、全く勉強をしないお子さんがおられたとします。親が心配で叱る。これで解決する事は100%あり得ません。

 まずは子供の現在の学力を把握し、そのままだと将来どういう事になるのかを、具体的に事実に基づいて子供に淡々と伝える。個人的感情は入れずに。その後、勉強しないできない子供の気持ちに寄り添う事。分からないよね、大変だよね、難しいよね、しんどいよね、面倒だよね。その上で、じゃあどうしたらいいか一緒に考える。一人では無理、と子供が思っているのなら、親が一緒に勉強に付き合う。任せられる塾や家庭教師を探す。子供の気持ちに立って試行錯誤しながら解決策を立てていく。こういうアプローチが必要だと思います。

 ただ単に「勉強しないと大変な事になるよ。勉強しなさい」と脅したり叱りつけるだけでは、何の解決にもなりません。

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 具体例の2つめ。

 例えば、「今まで子供に過干渉過ぎた。子供にうるさく言い過ぎた。だからこれからは、子供を自由にさせてあげよう。ほったらかしにしておこう」というもの。思春期の反抗が始まる中高生あたりから、こういう方針に切り替える親は多いと感じます。力でねじ伏せられた小学生までは、わりと具体例①のように、押し付け育児をやっていた人も、力で負けはじめる中高生からは、こちらの方針に変えるパターンが多い気がします。

 これはどうなのだろう。まず、放ったらかしの放置ですから、優先順位の1である「事実の把握」ができていません。この時点でアウトです。子供の事実を親が把握しない、という事の怖さ。最初に書いたように、子育ての目的は、幸せで自己実現が叶う人生を子供が持てるようにする事ですが、今現在の子供の状態を親が知らなければ、そこに向かっているのかどうかも分からない、という事になります。子供が逆の方向に向かっていても、親はそれを把握していないのであれば、止める事もできません。

 また、親が子供の状態を知っていて、悪い方向に行っていると分かっていて、それでも放置している場合は、同じく優先順位1の「情報提供」ができていません。そのままだとどういう不都合が子供に起こるのか、子供に具体的に伝える必要がありますが、それをやれていません。

 3年前、大阪寝屋川で、中学生2人、深夜に街を徘徊していて大人に連れ去られ殺された事件がありました。記者から「何故、深夜に子供を外に出したのか」と聞かれた親御さんのお一人がこう仰っていました。「私は娘を信頼していたので」と。

 子供を信頼する事と、深夜の街の危険について具体的に子供に教える事とは、何の関係もありません。子供を信頼しているから、情報を提供しなくていい、という言は、まったく筋が通っていません。

 でも、これをごっちゃにされている親御さんは、とても多いように思います。「子供を信頼している」から「子供を放置する」という子育て方針を取られる方。放置の中身は、「子供の状況の把握をしない」「子供に必要な情報を教えない」。

 最近とても流行っている「子供は放っておいたほうが、子育てはうまくいく。子供を信頼できていれば、放っておく事ができるはず」というやつです。そして、それに対して批判が来ると、「ならば、ガチガチに子供を見張り、親の価値観を押し付けた方がいいのか」みたいな返答が来る。ズレているのですね。

 ちなみに「ガチガチに子供を見張り、親の価値観を押し付ける」のは、「子供の気持ち」より「母親の気持ち」を優先しているから、間違っているわけで。誰もそんな事をしろ、とは言っていないわけです。

 事実確認と情報提供をした後は、子供の気持ちに寄り添う事を優先すればいいのです。あくまでも、子供の気持ちが、母親の気持ちよりも先です。「ガチガチに子供を見張り、親の価値観を押し付ける」というのは、子供の気持ちよりも母親の気持ちを優先しています。これでは、うまくいくものも、うまくいきません。

 子育てというのは、子供を育てる事、です。あくまでも、主役は子供です。母親が、自分の気持ち優先でやっていては、子育てにはなりません。子潰しです。きつい言い方ですが。

 もちろん「子潰し」されても、強い子、賢い子供は、うまく成長していかれるでしょうが、弱い子供は文字通り潰れてしまうでしょう。

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 今日は私なりに、子育てを整理してみました。子育ての全てがここに集約できているとは言えませんが、基本的な考え方を掴んでおくと、迷った時に役に立つかなあと思い、主に自分の覚え書として書きました。なので、一般的には「親」と書くところを「母親」としてしまっています。ご了承ください。