書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

自分の心は自分で守る。

 自身が発達障害者、または、家族が発達障害者、という人は、精神疾患に罹りやすい、と言われています。自身が発達障害の場合は生きづらさから、家族が発達障害の場合はカサンドラ症候群から、精神を病んでしまうからです

 精神を病んでも人生は続いていくわけで、なんとかラクになりたい、という思いから、怪しげなスピリチュアルにはまっていく人がいる。

 ここまでを、前回書きました。今日はその続きです。

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 精神疾患と言っても、色々ありますが、例えばウツなどのように、本人がしんどい、辛い、という疾患の場合は、あまり問題はないのです。本人が苦しいので、ちゃんと病院に行き、何らかの手を打とうとするからです。

 でも、精神疾患の中には、本人は何ともない、病気という自覚もない、という疾患もあります。例えば、パーソナリティー障害。ネットより説明文をコピーさせて頂きました↓。

パーソナリティ障害の定義は、「その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターン」とされています。パーソナリティ障害にはいくつかのタイプがあり、大きく分けて、次の3つに分類されています。

  • A群(奇妙で風変わりなタイプ)
    • 妄想性パーソナリティ障害 (広範な不信感や猜疑心が特徴)
    • 統合失調質パーソナリティ障害 (非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴)
    • 統合失調型パーソナリティ障害* (会話が風変わりで感情の幅が狭く、しばしば適切さを欠くことが特徴)
  • B群 (感情的で移り気なタイプ)
    • 境界性パーソナリティ障害 (感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴)
    • 自己愛性パーソナリティ障害* (傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴)
    • 反[非]社会性パーソナリティ障害 (反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴)
    • 演技性パーソナリティ障害 (他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴)
  • C群 (不安で内向的であることが特徴)
    • 依存性パーソナリティ障害 (他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴)
    • 強迫性パーソナリティ障害 (融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執(こだわり)が特徴)
    • 回避性[不安性]パーソナリティ障害 (自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴)

 ウツ病とは違い、パーソナリティー障害の人は、生きるエネルギーが枯渇しているわけではありません。むしろ、躁的に元気で過剰に行動している場合もあります。ただその行動が、非常に偏っている(やりたい事は躁的にやり、やりたくない事は全くやらない)ところに問題があるわけです。偏っているだけならまだしも、周囲に迷惑をかける・モラル的に問題がある、という場合も多く、そうなると本人は元気で楽しくても、周囲が疲弊する苦しむ、という事になります。

 パーソナリティー障害の場合、本人に病気の意識はないので、自ら来院する事は少なく、困り果てた周囲の人が来院させようとしても、なかなか難しい(全てではありません)。ここが、ウツ病との違いです。

 先日、私が娘さんから相談を受けたご家庭もこのケースでした。娘さんのお母さん(スピ先生)がパーソナリティー障害だと、後でご主人から聞きました。家事を全くせず素行が悪く、注意すると人格が豹変してキツい罵詈雑言をぶつけてくる母親に、悩んで辛い、と娘さんは泣いてられました。相当厳しい状況だったと思われます。最終的にはご主人に一任したのですが、ご主人は、奥さんが病気だという事は分かっていても病院に連れていく事が難しい、と仰っていました。これがウツ病であったら、本人も納得して来院してくれるのですが。パーソナリティー障害の場合、本人は困っていない(むしろ人生の春のように楽しい)、でも周囲は苦しんでいる、というケースが多いようです

 この奥さんは、スピの先生として宇宙やら愛やら夢やらを語り、カウンセリングやセミナーを実際に行っておられます。彼女の華やかで愛に満ちたブログを見る限り、この人が家族を泣かせ娘さんを追い詰めているとはとても思えず、パーソナリティー障害の難しさを感じました。全てではないと思いますが、パーソナリティー障害の方は、場面場面で人格が豹変するようです。気分がいい時は優しさあふれたあたたかい人が、ひとたび気に入らない事があると悪魔のような冷たい言動を取ったり、場面場面で真逆の行動を取ったりします。でも本人はそのおかしさ、異様さに気づけないのです。気づけないから病院に連れて行く事もできず、治す事もできない。

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 誰かが病的にスピリチュアル(以下、病的スピと省略)にはまってしまい常軌を逸した生活をしている時、他人なら放置しておけば済みますが、家族の場合、なんとか通常の生活に戻そうと努力します。

 でも、病的スピの人は、筋の通った説得に、何故か絶対に耳をかそうとはしません。わけの分からない、筋の通らない、明らかに怪しいスピ先生の言う事のほうを信じます。何故、まともに話しが通じなくなるのか。

 洗脳されているから、と今まで思っていましたが、私の見聞きした感じだと、洗脳された、というより、むしろ自ら進んで洗脳されに行っているように感じます。

 例えば、勝手に誰かのブログを読み、勝手に共感し、勝手に信者になる、というような感じ。誰かにブログを読むように強制されたわけではなく、自ら進んで読んで、自ら進んで信者になるのです。

 これを洗脳と呼んでいいのか?と私はずっと腑に落ちない気持ちでいたのですが、今回、改めて考えてみて、病的スピの人というのは、やはり一般的な洗脳とは、少し趣が異なるように思いました。

 病的スピの人は、厳しい現実からの「逃避」として、スピにのめりこんでいるように思います。なぜのめりこむのかと言えば、それこそ、パーソナリティー障害に罹っているから、なのだと思います。普通の感覚では「それはおかしいでしょう」と思える、偽スピの世界を、おかしいと思わない、むしろ「これこそ真実」と思えるのは、パーソナリティー障害に罹っているから。すでに精神が妄想的・反社会的・演技的になっているので、同じく妄想的・反社会的・演技的な偽スピの世界が、ぴったりはまったのだと思います。

 宇宙だ、愛だ、神だ、魂だ、という世界に依存している限り、厳しい現実を見ないですみ、現実社会で生きている一般人を見下す事ができます。周囲から避けられると、それは、自分のステージが上がったから低い人達と合わなくなったのだと解釈し、批判されると自分への嫉妬心だと考えます。無敵になれるのです。そのいびつな論理性に気づけない。

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 ところで。

 「まっとうなスピリチュアル」と「偽スピリチュアル」との違いは、何でしょうか。

 私が思うに、前者が自分の現実から逃げないのに対し、後者は現実を無視する所だと思います。前者が、自分の全人格として生きようとしているのに対し、後者は「魂の声(実際は単なる欲)」のみに生きようとする所だと思います。また、前者が他人の言う事に耳をかす余裕があり、批判的な言葉にも冷静に対応できるのに対し、後者は批判されると人格が変わったように敵意をむき出して過剰反応する所にも表れると思います。

 また、「まっとうなスピリチュアル」は、実行するのに、本人にそれ相応な努力や自己鍛錬が必要であり、ご都合主義な部分がなく、基本的に一人で群れない、モラルから逸脱しない、という事だと思います。「偽スピ」はこの逆で、努力も自己鍛錬も必要なく、ご都合主義で、基本的に群れていて、モラルから逸脱する、という特徴があると思われます。

 更に、ハッキリ明確な違いを挙げれば、金銭面に対するスタンスです。本来スピリチュアルというものは、自分の心一つで行うものなので、費用は一切必要ありません。費用がかかったとしても、勉強の為の書籍代ぐらいなものです。それ以上のものを要求される必要とされるなら、それはまがいものだと思って良いのです

 前回書いた、本物の霊能者の方も、自らは相談者に対して料金は請求されません。どうやって生活されているかというと、篤志家の方々のお布施が凄いので、大丈夫なようです。相談者の中には大病院の院長先生や、企業の経営者もいて、そういう方々は、その霊能者の方に死なれては困るのです。少しでも元気で長生きして相談にのってもらいたいので、要求されなくてもお布施をお渡ししているようです。これが本来のスピの形だと思います。

 前回の記事のAさんは、主婦として普通に暮らしておられるという部分では真っ当だと思われますが、しかし、会った事もない名前しか知らない赤の他人に「念送っておきましたんで」と一万円要求する行為は、偽スピ以外の何物でもないわけです。でもAさんご自身は、「普通の主婦」と「偽スピ先生」という相反する二面性に、違和感を持ってはおられません。「普通」なら出来ないはずの行為が、「偽スピ」の世界では出来てしまう。「偽スピ」の理屈では通ってしまう。そのおかしさに気づけないのは、Aさんが何らかの精神疾患に罹っているからではないかと、私は思います。また、Aさんのクライアントさんになる人達も、Aさんの「そのままのアナタですでに満点。好きな事だけしよう」という言葉に惹かれ、「念を送ったよ」と言われて喜んで一万払うという事(それに違和感を感じない、という事)は、同じ精神状態にあるのだろうと思われます。おそらくAさんのクライアントさん達も、いずれは自らがスピ先生になり、Aさんと同じ行動をとるようになるのでしょう。

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 パーソナリティー障害の人が、偽スピにはまると、誤った考え方を肯定されてしまうので、ただ単にパーソナリティー障害である人よりも、治る可能性は低いと思います。というか、偽スピの教義が、パーソナリティー障害を、固定させる働きをしていると思えて仕方ありません。

 偽スピ依存者を、そこから抜け出させる方法はあるのでしょうか。

 少なくとも、説得したり話し合ったり、という手段は、無益であると思われます。

 一番効果的なのは、病院に行って治療する、という事ですが、パーソナリティー障害の場合、本人に病気の意識はないし本人は困っていないので、来院させる事は至難の業です。もうすでに、病的にスピに依存していしまった人を、救う方法は無いと、私は思うのです。もう、「無い」という事を、認めた方がいいのではないでしょうか。一旦はまってしまったらもう、救う事は無理なのです。

 であれば、何故、こんなに長々と文章を書いてきたかというと。

 発達障害精神疾患→スピにはまる、という事が往々にして起こっている、という現実を知っておく事に、意味があると思ったからです。その上で、自分が発達障害の人、または家族が発達障害の人は、自分がスピに依存する可能性が高い事を、自覚しておくべきです。

 スピも玉石混合です。発達障害関連の人は、むしろ予め、何らかの「まっとうなスピ」を見極めて、それを実行していけばいいのではないでしょうか 

 自分が、もしくは、家族が発達障害という人は、心が弱った時に偽スピにはまる危険が高い、という事を熟知し、そうならない為に、予め「自分が信じる心の世界」を決めておけばいいと思うのです。心の世界を決め、自己鍛錬を行っていれば、たとえ苦しい環境で心が弱ってしまった時でも、偽スピにはまる危険は低くなります。

 他人の心まではどうしようもないけれど、自分の心は自分で守る、その意識をしっかり持っていたいと思います。

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