書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

目に見える世界と、見えない世界を、分けない。

 私は神仏仏閣巡りが大好きで、自宅にも手作りの神棚を飾っています(作ったのは夫ですが)。こうやってブログに書いているだけではなくて、ブログに書いている事を日常的にも人に話しています。ウチの神棚が好評で、簡単に作れるので、我が家に来た人は結構真似して、お宅でも作られたりしているぐらい。

  私は、神仏の存在を信じている、という話を平気で誰にでも言いますが、別に「変わった人」とは思われていないようです。というか、みんな神仏の存在を信じているから、初もうでにも行くし、お墓参りにも行くわけで、まあ中には、神仏の存在を信じない、という方もおられるだろうけれども、それはその方の自由であって、私はそういう人を「変わった人」とも思わないし、そういう人もまた私を「変わった人」とは思わない、と思うのです。

 目に見える世界と、目に見えない世界は、混然一体となって私達が暮らすこの世界を作っているのだという事は、誰にでも理解できる事だと、私は思っています。

 例えば。

 化学や生物、物理では、たいていのこの世の法則は説明できますが、部分、部分で説明できない所も存在します。この「説明できない所」というのが「目に見えない世界」なのです。

 ごくシンプルな例を挙げると、小学校で習い始める光合成

二酸化炭素+水+日光→酸素+ブドウ糖

化学式にすると、

6CO2+12H2O+日光→6O2+C6H10O6

 二酸化炭素も水も酸素もブドウ糖も化学式にできるし、その組成も原子レベルまで明確に分かっています。ざっくり言えば、元素CとOとHが反応して(左辺)、CとHとOの化合物が出来る(右辺)。各々の分子の結晶の形、結合する方法、結合して出来た化合物の結晶の形までハッキリと分かっています。また、この化合物が生物の体に取り込まれた後、どのように消化され消費されていくのかまで、ハッキリと明確に分かっています。

 ですが、このシンプルな光合成でさえ、分からない部分が存在します。それは、「日光」です。

 「日光」とは、具体的に「何」なのか、については、全く分かりません。

 日光は、太陽から送られてくる光であり、熱エネルギーでもある、つまり、宇宙から地球に送られてくるエネルギーの一つである、という事は、分かっていますし、地球が日光からうける影響も分かっていますが、日光そのものがどういうものなのか、という事は、全く分かりません。

 化学では、全ての物質は「元素」から出来ている、と定義しています。実質的には目に見えない気体ですら、元素記号を持ち、原子レベル、結晶レベルまで、存在の形が明確になっています。ですが、日光については分からない。

 単純な光エネルギーではないし、熱エネルギーでもない。電気エネルギー的要素もあるけれど、電気エネルギーでもない。

 日光は文字通り「目に見えない世界」に属しているもの、と言えます。

 つまり、ごくごく基本的な現象である光合成ですら、「目に見える世界(人間に把握できる、分かる事)」と、「目に見えない世界(人間に把握、理解できない事)」とから成っているわけです。

 つまり、この世は、目に見える事と見えない事が、混然一体となって存在しているのだ、という事になります。

 だから、「目に見えない世界」もまた大事にしている、信じている、と発言することは、何らおかしな事ではない、と私は思うのです。

 ただ、スピの世界は玉石混合なので、お金儲けや自己顕示欲からのものも少なくありません。そういうものに近づいてしまうと、お金を無駄にするだけでなく、こちらの状態(気とか魂とかそういう目に見えない霊的世界)をおかしくされてしまうので、気を付けないといけません。何しろ、目に見えない世界のことなので、整っていたものを、まがい物のスピに近づいたせいで乱されておかしくされてしまうと、元に戻す事がとても困難です。

 なんだか最近調子が悪い、体調が悪い、何もかも悪い方向に行く、どうしてだろう?という場合、まがいもののスピに近づいてしまった過去があるかもしれません。まがいもののスピをしている人が、故意に他人の霊的世界を乱しているのではなく、知らずにやってしまっているの、そのスピの人本人が、元に戻す事はできません。そういう能力はないのです。他人の乱れた霊的世界を元に戻す事ができる力のある霊能者の方はとても少なく、まず一般に宣伝などしていません。私は「目に見えない世界」も「目に見える世界」と同等に感じていますが、それでも、少しでも疑問を感じるスピ関連には、近づかないように気を付けています。

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