書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「あなたが健康でないと困るんだから」

 ふと思いだした事なんですが。

 息子が小さい頃、私の母親や、義母から言われた言葉で、意外に辛かったものに、「あなたが健康でないと困るんだから、体にはくれぐれも気を付けなさいよ」というものがあります。

 これ、発信側の母や義母は、私の体を労わって言ってくれていると思うのですが、受け取り側の私としては、そうは感じられなかったのです。私には、

「子育て中の母親であるあなたが倒れたって、私(母や義母)が代わりに子育てしてやれないのだから、あなたは絶対に倒れてはいけません。絶対に体調を崩してはいけません。子供の体調管理は当然だけど、自分の体調管理だって、あなたの仕事の内です。体調管理は自助努力です。努力を怠って、周囲に迷惑をかけるような事は、絶対にやめて」

 という風に、聞こえたのです。

 母や義母には、そんなつもりはなかったのでしょうが、私にはこう聞こえたのです。まあ、息子が小さい頃の私は、本当に追い詰められていたのでしょう。

 そもそも息子が小さい頃は、母も義母も、私達親子を避けていましたし。さわらぬ神に祟りなし、という感じで。君子危うきに近寄らず、という感じで。母や義母も、余裕綽々で生きていたわけではないでしょうから、危なそうな所は避けるのが、彼女達の生きる上での処世術だったのだと思います。し、理解もできます。そういう人達だな、というのは、折々に感じますし。いえ、良い人達なのです。良い人達なのですが、処世術にも長けておられる、という事です。ちなみに、息子が小学校に行くまで(少し落ち着くまで)、母や義母には一度も預かってもらった事はないです。

 

 よく、子育て中の母親にかけられるアドバイスとして「一人で抱え込まないで、周囲を頼って」というのがありますが、これ、本当なんだろうか、、、と、私はずっと思っていました。今でも思います。

 周囲を頼りたくても、頼れない人だって、いるじゃん。。。。

 子供がいい子ちゃんで、誰に預けても大丈夫な子なら、周囲に頼る事も可能だけれど。うちの子のように、他人に預けられない子もいるわけで。身内なら、と思っても、身内からもさりげなく避けられると、一体誰に頼れば??となる。

 だから私は、病院や児童相談所や療育施設に頼ったのですが、その為には、息子を「障害児」として認定せねばなりませんでした。子供を障害児と認めなければ、行政の助けは得られないからです(当然ですが)。

 子供を障害児として認めたくない、というお母さんは、行政も頼れないから、本当に誰にも頼れないなあ、と思います。

 そういう人が、「お母さんが健康でないと、子供が困るのだから、しっかりして」的な事を言われたら、相当しんどいだろうと思います。

 だって、病気にならない為には、「しっかり寝て、体を労わって、適度に運動して、何よりストレスを減らす」事が必須だと分かっているのに、子育て中は、これらが全部、全然できないからです。子育て中は、「全然寝られず、体を酷使して、運動なんてできず、ストレス満載」でした、私。

 よくあれで、倒れなかったものだ、と今さらながらに思います。若かったのだなあ。

 でもですよ。「全然寝られず、体を酷使して、運動なんてできず、ストレス満載」だと分かっている人間に、「お母さんが健康でなければ、、、」と言うのは、酷ってもんじゃないでしょうか。好きで病気になるわけじゃないんだから。矛盾してます。

 こういう矛盾って、でも、世の中には沢山ありますよね。

 大人は、こういう矛盾を、平気で口にしますよね。矛盾でなければ、「きれいごと」かな。

 大人は、というか、強い立場の人間は、弱い立場の人間に、こういう「矛盾」や「きれいごと」を平気で口にします。それが世の中の常。そう言っておけば、「私も幸せ、あなたも幸せ、チャンチャン」ってなるから。

 

 私は、今、老いている母や義母に、「お母さん、体にだけは気を付けて下さいね」なんて事は、絶対に言いません。だって、病気になって辛いのは、誰よりも本人なんですから。誰よりも本人が、病気になりたくない、と思っているのですから。それでも、加齢とともに、体が弱っていくのはどうしようもないわけで。本人のせいではないですから。本人がどれだけ気をつけて暮らしていても、病気になる時はなるわけですから。

 なので、私は母には、「何かあったら、すぐに知らせてね。夜中でも構わないからね。いつでもすぐに行くからね」と言っています。義母は遠くに住んでいるので、すぐに行くわけにはいかないので、言えませんが。

 

 でも、自分で言っている事の矛盾って、自分では気が付かないものですよね。無意識に言っているのですよね。それは分かるので、私は母や義母が嫌いではありません。恨んでもいません。今は、息子をとてもかわいがってくれるので、感謝しています。

 矛盾した事を言われても、しんどいのは一瞬だけですしね。今はすっかり忘れて生きています。まあでも今日は、ふと思い出したので書いてみました。

 上から目線で書いて申し訳ないですが、かつての私と同じように、人の矛盾した言葉に辛い思いをされている渦中の方がおられたら、大丈夫いつか忘れられるから、とお伝えしたいです。

 あと思うのは、欲しいものを取る為には、何かを捨てるしかない、という事です。私が、「頼るべき相手」を確保する為に、息子を障害児と認定したように。

 そんなことない。何も捨てずとも、欲しいものは手に入る、と言う人は、きれいごとを言っているな、と私は感じます。もしかしたらその人は、そういう「きれいごとが通用する」人生だったのかもしれないですが。私は、そういう人生ではなかったので。それでも、きれいごとが通用しない人生でも、今は幸せを感じて生きていられているので、まあ、良かったなあと思います。

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