書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

息子の不安感が消えたかも。

 発達障害である息子の、障害特性の一つに「不安感が強い」というものがあります。ストレスがたまると、強迫性障害に近づくほど不安感が強くなることがあり、どうしたものかと考えていました。

 今までの私の方針は、「息子にとってストレスになる事象は、できるだけ息子の周囲から取り省く」事でした。できるだけ、なので、当然、取り省けない場合もあり、それはもう、致し方ない、息子自身に頑張ってもらうしかないのですが、私の力で取り省けるものは、気づいた時点でどんどん取り省いてきました。例えば、苛めの芽とか。

 でも、それ(ストレスを減らす)だけでは駄目だなあという事は、私にも分かっていました。息子自身が、不安感を乗り越えるというか、不安があっても気にしないという割り切る強さを持たないと、なかなか平安な状態にはならないのです。

 どうしたものかと思っていたところ、先日、息子とこんな会話をし、もしかしたら、これが突破口になったかもしれないと思ったので、書いておきます。

 何の話からそうなったのかは忘れましたが、息子と私は、「神様」と「人間」と「地獄の餓鬼」の話をしていました。こういう目に見えない抽象的な話は、息子は苦手なのですが、この話だけは別のようでした。

 「神と餓鬼の違いは具体的には何?」と息子から聞かれた私は、「波動かな」と答えました。

 「波動って何?」と聞かれ、「魂の状態かな」と。

 「魂って何?」と更に聞かれ、「感じる心の事かな。頭は考える所だけども、その頭とは違って、何かがあった時にそれについて理屈抜きに湧いてくる感覚があると思うけれども、それが心で、それが魂だと思うよ」と答えました。

 私は「神様の波動はとても高くて、地獄の餓鬼の波動はとても低くて、人間の波動はその中間にある」というような説明をしました。また、「波動の特徴として、あまりにも高低差があると、お互いに関わる事ができない、逆に波動が近づくと関わる事ができる。

 つまり、波動的に中間地点にいる人間が、そのままの位置にいると、なかなか神様と関わってもらいづらい。でも、努力して自分の波動を上げていくと、神様の高い波動に近づくので、神様にお願いした声も届きやすいし、お願いしなくても神様に気づいてもらいやすいので、例えば、自分としては精一杯努力しても目標の7割ぐらいまでしか到達できない時、あとの3割は、神様がひょいっと上げて到達させてくれたりする。

 逆に、波動的に中間地点にいる人間が、そのままの位置にいれば、地獄の餓鬼に捕まってしまう事はまずないけれど、波動を下げるような事ばかりして、餓鬼に届く位置にまで下がってしまうと、捕まってしまう。捕まってしまうと、一気に引きずりおろされてしまう。自分では、2割ぐらい下がっちゃったなーというつもりでも、それが餓鬼に捕まえられる位置だと、ガッと捕まって一気にあとの3割引きずり降ろされてしまう」というような事を説明しました。

 息子は、「うん。確かに。僕、受験の時も、最初はとても受かるわけないと思ってたけど、努力してたらいつの間にか受かってたし。僕の力だと、合格点の7割までしか到達できてなかったと思うけど、後の3割は神様がヒョイッと上げてくれたんだと思う。

 あと。僕は、お母さんに絡んだり、気になる事をいつまでもいつまでも繰り返し言ったりする悪い癖があったけど、あれも、自分では最初は、ちょっとぐらいいいやん、ちょっとぐらい言ってもいいやん、ってつもりだったけど、いつの間にか止まらなくなって、だんだんお母さんだけじゃなく、他の人にも絡んだりしつこく言いたくなったりして、どんどん悪い癖がエスカレートしていって、気づいた時には自分の力では止められなくなってた。僕としては、2割悪い事してるつもりで、たった2割だからいいやん、という気持ちだったけど、2割波動が下がってしまって餓鬼に捕まって、後の3割はぐいっと引きづり降ろされていたんだと思う。餓鬼に捕まるって事が、『悪い癖は止まらなくなるエスカレートしていく』、って事なんだと思う。だから、ちょっとぐらいいいやん、って自分を甘やかしてしまうと、危険なんだと思う。僕、経験したから、それはよく分かる」と言っていました。

 頑張れば自分の力以上の結果が出てビックリする、という事は、息子だけではなく、経験された方は他にもおられると思うし、逆に、少しぐらい大目に見てもらってもいいだろうと自分に甘く勝手をしていると、気が付いた時にはその甘えた行動を止められなくなっている、という事もまた、経験された方は多いのではないかと思います。

 この結論を目指して話していたわけではないのですが、結果として、こういう結論になり、息子も納得してくれていたので、良かったなあと思いました。

 最初に戻りますが、息子の不安感というのがどこから来るかというと、到達地点が100だとすると、自分が100に到達できていない(できないのではないか)という所から来ているので、別に自力で100に到達できなくても大丈夫なのだ、という事が肌感覚として、息子が理解してくれた事が良かったと思うのです。自力では70ぐらいまでしか行けなかったとしても、そこまで頑張った事で、残りの30はヒョイッと上がれるということ。でも、何も努力せず中間地点の50のままでいては、神様も助けようがない(波動が違い過ぎて手が届かない)から、まずは自力で70まではいく、まずは自力でやれるところまで頑張る、という事が大事。そういう事を、彼が納得した時、息子の不安感が、すっと消えたように思います。

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