書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

あなたはそう思うんだね。

 誰かと意見が食い違う時、否定に対して否定していくと、キリがないし、お互い不愉快になってしまいますね。

 だからといって、「あなたはそう思うんだね。あなたにはそんな風に見えるんだね。あなたにはそう感じるんだね」と言う事って、私はあまり好きではありません。

 そういう事を言う人って、「私は、相手そのものを肯定してやる事で、『否定』を『肯定』に変換したのだ」と、思っていると思うのですが、それって違うと思います。私は、そういう物言いが、否定を肯定に変換する事だとは思えません。 

 「あなたはそう思うんだね。あなたにはそんな風に見えるんだね。あなたにはそう感じるんだね」と言う事は、相手が正しい(つまり、自分のほうが間違っていた)と認める事では、ないからです。

 人と意見が異なった時、「あなたが正しかった。私が間違っていた」と言われて初めて、人は自分が肯定されたと感じます。「あなたはそう思うんだね」と言われても、自分の意見が正しいのか間違っているのか、分かりませんし、分からない分、はぐらかされたような、馬鹿にされたような感じになります。

 議論するのであれば、こういう言葉で煙に巻くのではなく、どこまでもフェアに、どちらの意見が正しいかを、判断するべきだと私は思います。もしそれが無理なら、もしくは嫌なら、議論そのものを止めるしかありません。私は個人的には、人と議論はしない主義です。どちらが正しいかを、議論しあっている当人どうしが、納得して決める事は、まず不可能だと思うからです。

  漠然とした事を書いてしまいましたが、最近、こういう事を言っている人を見たので(私が言われたわけではなく、議論している二人のうち一方の人が言ったのを見た)、今流行っている物言いなのかな、と思って、書いてみました。私は、この言葉を聞いた時、とても不愉快だったし、言っている人に良い感じは持てませんでした。

 「あなたはそう思うんだね」これは、相手の意見を肯定しているのではないです。だから、これを言っても、相手が「肯定された」と感じる事はないです。しかも、そこはかとなく上から目線が漂っていて、その分だけ不遜で傲慢です。一見、相手を肯定しているかのように聞こえるだけに、自分の器の大きさを誇示できますし。しかも、これを言われた相手は、それ以上何も言ってきませんし。

 相手が何も言わないのは、肯定してもらって嬉しいわけでは勿論なく、もうこれ以上この人と言い合っても無駄だな、と判断するからなのですが。。要は、相手を見限ったから、議論をやめるだけの事なのです。

 私の前で議論していたその二人ですが、これを言われた側の人は、これを言われた段階で、すっかり諦めてそれ以上何も言いませんでしたし、とても不満そうでした。それから、それ以降これを言って来た人を、ずっと避けています。

 だからこれは一見良い言葉のようですが、あまり言わない方がいいんじゃないかなと、私は思います。

 二人の人間の間で、意見が真反対に食い違っている時、相手の意見を肯定する為には、自分の意見を否定しなくてはいけません。それはもう、絶対に、避けては通れない道なのです。

 でも、「あなたはそう思うんだね」と言えば、自分の意見を否定する事なく、相手を肯定してみせる事が可能なように聞こえます。ごまかしです。私は、この手のごまかしが本当に苦手です。

 小さい子供の「非合理的なぐずりに対して」、親が取るべき態度として、頭から子供を否定するのではなく(叱りつけるのではなく)、「あなたはそう思ったんだね」とまずは子供の気持ちを受け止める事が大事、と、子育て本には書いてあります。これと同じ事を、大人に対してやって有効だと考える事自体がナンセンスだと私は思います。

 小さい子供に対して「あなたはそう思ったんだね」と言うという事は、「親が正しく子供が間違っている」という前提があって、けれども、頭に血がのぼってぐずっている子供に対して論理的な説得は不可能である為、叱りつけて態度を改めさせる前に、子供の気持ちを落ち着かせる目的で使う、という一種のテクニックです。

 つまり大人に対して「あなたはそう思ったんだね」と言うという事は、相手が間違っていて自分は正しい、という前提がまずある、という事になります。この言葉には「私が正しく、あなたは間違っている。でも私は器の大きい大人なので、あなたの間違いを指摘する事はしませんよ。あなたの意見は間違っているけれども、あなたの存在自体が間違っているわけじゃないですからね~」という意味が含まれています。

 更に、「あなたとは論理的な議論が不可能ですね。あなたは小さな子供みたいにぐずっているのですものね」という意味も含まれています。自分は物事がよく分かっている大人であり、相手は幼児並である、という事を暗にほのめかしている。とても失礼な物言いなのです。だから、この言葉を言われた方はイラッとするし、言うほうは気持ちいい。一種のマウンティング用語だとすら、私には思えます。

 本当に大人どうしのフェアな会話というのは、どちらが正しいか分からないのであれば、「どちらが正しいか私には分からない」と正直に言えばいいだけですし、相手が正しく自分が間違っている、と分かったら、「私が間違っていました。ごめんなさい」と謝ればいいだけです。また、どこまでも自分が正しいと思うのであれば、「やはりあなたの意見には同意できません」と言うしかありません。議論に決着をつけずに、ただ自分の優位性は確保したいという姑息さが、「あなたはそう思うんだね」には感じられます。

 私が「あなたはそう思うんだね」と、誰か議論相手から言われたら(議論自体をしないので、まずないと思いますが)、「だから?」と聞き返してしまうと思います。それがどうした、思っているから言ってるんだよ、分かったような事を言うのはやめてくれ、あなたに私の何が分かるというのだ? 何も知らないくせに、知ったような事を言わないでくれ、と、言ってしまうかもしれません。

 今、巷でこの言葉が流行っている理由は、様々な自己啓発で、「否定を肯定に変換する方法」テクニックとして、この言葉が推奨されているからだと思われます(だから、私は自己啓発自体が苦手です)。実際には、全然、変換できていないのですが。

 うーん。今日は私の心の狭さを露呈するような事を書いてしまいました。長雨のせいにしておこう、、。

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  「あなたはそう思うんだね」と言う人とも、言われて「わー肯定された。嬉しい」と感じる人とも、私は仲良くはなれないんです。こういう私の偏屈な性格が、私自身の生きる世界を狭くしている面は否めません。そんな事どうでもいい、と感じられるようになりたいと思っていますが、、なかなか、、。