書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

「笹の船で海をわたる」角田光代著

 本日、二つ目の記事を書きます(^_^)。

 今週から一気に夏のような暑さですね。うっかり月曜日は、先週からの流れで、普通に動きまわっていたら、夕方から体調を崩し、倒れました。具体的には、倦怠感とお腹下し。足元がスースーするあの嫌な感じ。この足元がスースーする嫌な感じは、更年期に入った頃に酷くて、漢方薬(加味逍遥散)で治したのですが、エネルギー切れを起こすと今でも再発します。で、月曜日の夕方、再発。

 泣くような気持ちで夕食を作り(自分は食べれない)、後片付けをし、お風呂を沸かし、息子の話を聞いたりして、でも合間にトイレに駆け込み、大抵はソファーに横になって、夫が帰って来たと同時に、夕食出しなどやることやって、さっと寝ました。翌日も疲労感半端なかったので、一日大人しくしていたら、今日はわりと大丈夫。でも、この暑さですから、少なくとも今週は、大人しく家にいます。午前中の早い時間に夕食の買い物や最低限の家事を済ませて、できるだけ早い時間に夕食作りだけ済ませて。あとはもう、エアコンの効いた部屋でダラダラしています。ここで油断して出歩いてしまうと、テキメン体調を崩す事が分かっているので、自粛です。

 前置きが長くなりました。先日読んで面白かった本について書きます。

「笹の船で海をわたる」角田光代著。

 

笹の舟で海をわたる (新潮文庫)

笹の舟で海をわたる (新潮文庫)

 

  主人公は、60代の女性・左織と、左織の妹・風美子です。彼女達二人で、家を買おうとしている所からこの小説は始まります。海沿いに建つ瀟洒な一軒家なのに、左織は何故か、購入を渋っている。費用の問題ではないようで、読者は理由が知りたくなります。

 そして、そこから、角田流のうまい筋立てが次々と描かれていき、息もつかせぬ間に物語はどんどん進んでいき、何度も「ああ、こういう人、いるな」「ああ、こういう人、知ってる」「ああ、これは私だ」と共感の渦に巻き込まれながら、最後はしんみりと頷いている自分がいました。

 姉妹だと思っていた左織と風美子は、実は血の繋がりなど無かった、戦時中の疎開先で一緒の仲だった、事がだんだん分かってきます。また、左織は控えめで優しい女性、という風に描かれているのに、途中から、その疎開先で、陰湿な「イジメ」を行っていたのかもしれない、そしてそこで同じ境遇の子供の一人を殺したのかもしれない、左織はその事をすっかり忘れて生きているのかもしれない、という風にストーリーは進んでいくのです。風美子の存在が、少しづつ左織に、忘れていた過去を思い出させていきます。

 なんだ戦時中のお話かー、私とは関係ないなーと思って読んでいると、そうでもない。

 左織の、二人の子供との確執。義母との確執。姉との確執。夫との確執。等々、控えめで優しい主婦であり母であり娘であり妹である筈の彼女の、一枚剥いた下の姿が、左織の一人称で訥々と語られていくのです。彼女は、最後には、ずっと近くにいた風美子とすら距離を置くようになります。だから、二人で家を買う事に、左織は浮かぬ顔をしていたのだ、と、本の後半になって分かってきます。

 その後、60代の左織は、どうやって生きていくのか。戦時中という暗い時代を耐え過ごし、すでに両親他界、夫も義父母も他界、兄弟とはほぼ縁切り状態、娘とは確執がある、仲の良かった風美子とも距離が開いた。頼りない小さな笹の船で、精一杯渡った来たこの人生という海の果てにあったのは、誰もいない孤独。空しさ。そこから、彼女は、どうやって生きていくのか。

 私の年齢(50代)の女性の方には、きっと、面白いと感じてもらえる、そんな本だと思います。ただ、実際に左織の年齢の60代以上の女性には、少し物足りないかもしれない、と思います。やはり、作者である角田さんが、まだ60代になっていないから、そこの真実をまだご存じないから、描き切れていない、老女の心の芯がまだ他にある、そんな気がしました。ただ、ストーリーテリングの技はあっぱれ秀逸です。